元阪神・中込伸にとって92年とは?「あの1年があったから台湾でプレーできたし、今も商売を続けられている」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 4連敗目となった神宮球場でのヤクルト戦、先発は中込だった。阪神は4回に相手のエラーで1点を先制したが、その裏、ジャック・ハウエルに逆転2ランを浴びてしまう。それでも中込が6回まで2失点と踏ん張ると、7回からマウンドに上がったのは、同年に左腕エースとして成長した仲田幸司だった。抑えの田村勤が左ヒジ故障で7月に離脱して以降、阪神は抑えを固定できていなかった。

 そのなかで9月下旬、先発で13勝を挙げていた仲田が首脳陣に伝えた。「ここまで来たら遠慮せず、どんどん使ってください。どんな場面でも行きます」と。ところが2対2の同点で迎えた9回裏、二死一、二塁の場面。仲田が飯田哲也にライト前に運ばれ、痛いサヨナラ負けを喫したのだった。昭和の時代と違い、今や先発が抑えを兼ねることはあり得ないが......。

「いや、当時だってないですよ。ずっと先発で投げてきた人が、抑えで出ていったら、ちょっと難しい部分があると思うんです。これはそのあと、やっぱり僕が先発した10月の神宮でもそうでした。3対1で勝っていて、9回裏、僕がワンアウトとったあとにフォアボール、ヒットで一、三塁になったら交代。出てきたのは湯舟(敏郎)さんでした」

優勝を逃し、タイトルも獲得できず

 この年、先発陣の主力として11勝を挙げていた湯舟。直近4試合で3完封と安定し、救援登板も5度目だった。だが、リードしている場面での抑え役はプロ2年目で初めて。なかなかストライク入らず、連続四球で押し出し、同点とされた。

 そして代わった中西清起が二死をとるも、最後はまたしても飯田に打たれて逆転サヨナラ負け。阪神が優勝するには残り3戦全勝が条件となった。

「先発って、7回で2点、3点って考えるんですよ。初回に2点とられようが、あとゼロに抑えたらいいっていう感覚。だから、その局面だけ出ていってゼロに抑えるのは難しいんです。今だから言えることですけど、切羽詰まったところでの中村さんの判断はどうだったのかって思うし、湯舟さんもなにかそれがずっと残っているし、かわいそうですよ。

 いま言いたいのは、僕は投げられたということです。交代しましたけど、あの試合、完投できました。だから湯舟さんに会えば言うんですよ。今はもうネタにしていますが『湯舟さんが抑えたら、余裕で優勝できたのになぁ』って。当時はそんなこと言えませんでしたが」

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