「亀新フィーバー」に沸く陰で、人生初の代打交代で大暴れするベテラン岡田彰布の姿に戦慄が走った (2ページ目)
同じベテランで85年の優勝メンバー、真弓に代わってライトでスタメン起用。さらに岡田の代打で起用する。両選手とも結果が出ていなかったとはいえ、中村監督は世代交代を踏まえ、あえて若い亀山に代えたのではないか。
「のちのち、僕が引退したあと、ある酒の席で監督と一緒になった時に言ってました。『日本一になった優勝メンバーに取って代わるっていう、時代の象徴にしなきゃいけないと思ったんだよ』と。『そんな無責任な! 何も言わずに』って酒の勢いで返しましたけど、監督も酔っぱらってて、『おまえしかおらんやろう〜! ガハハ』って笑ってました」
1992年の阪神は新庄剛志(写真左)と亀山努のこの記事に関連する写真を見る
「亀新コンビ」誕生にファン熱狂
チームは4月に12勝9敗と勝ち越し、5月も同じ12勝9敗。開幕から仲田幸司、中込伸、湯舟敏郎を中心とする先発陣が安定し、抑えの田村勤が5月末時点で3勝0敗11セーブと盤石なのが大きかった。打線は5月20日、4番・オマリーが右手骨折で離脱となったが、代わりに昇格したプロ3年目の新庄剛志が同26日の大洋戦、7番・サードで出場していきなり結果を残す。
「新庄、一軍に上がってきた最初の試合ですよ。1打席目の初球、ホームラン打っちゃったんです(笑)。ファームで一緒にやってた僕がいるから、それならオレもできる、というのはあったと思います。ほかにもキャッチャーの山田(勝彦)、ピッチャーの中込(伸)もそうだし、二軍組がまあまあいて、新人の久慈(照嘉)もいたので、『これはいけるんじゃない?』って感じたと思います」
赤い手袋と赤いリストバンドが目立ち、マスコミが「第2の亀山」と称した新庄。豪快なスイングで即結果を出し、7月からセンターを守った。亀山と新庄、若い外野手コンビの活躍がファンを熱狂させ、のちに"亀新フィーバー"とも呼ばれるのだが、そうして迎えた6月9日、阪神は甲子園での中日戦に勝って7年ぶりに単独首位に立つ。ただ、亀山の打力は下降気味だった。
「そのあたりからずっと疲れてましたね、たぶん。もちろん、それでもやり続けるしかないですけど、人にも疲れ、取材にも疲れる。それと、体だけじゃない、頭も疲れる。打ち取られた配球の反省があり、3連戦の頭にやる配球の勉強があって、盗塁するためにピッチャーのモーションを見て、守ってる時のために相手バッターの打球方向の傾向も見なきゃいけない」
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