工藤公康はプロ入り拒否→根本陸夫の強行指名で西武へ。石毛宏典が「うぬぼれが強い」と感じた左腕はいかにエースとなったのか (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

マウンドで「しっかり守ってくださいよ!」

――工藤さんは、高卒ルーキーながら開幕一軍ベンチ入りを果たしました。

石毛 そうですね。投手は東尾修さん、松沼博久さん・雅之さん兄弟、森繁和さんらがいて、左投手はあまりいませんでした。当時、工藤と歳の近い選手は一軍にはいなかったんじゃないかな。何年か後に、ナベちゃん(渡辺久信)が入ってきて、ベンチでよく一緒にいることはありましたが。

 ナベちゃんも工藤同様に周囲を気にするタイプではなく、自信のある表情をしていましたし、1年目から一軍にいました。年齢や感性の近い投手が身近にいたことが、お互いにとってよかったのかもしれません。

――若い頃の工藤さんは、先輩に可愛がられるタイプでしたか?

石毛 投手の先輩である東尾さんは、たぶん工藤の力を認めていて、ご飯に連れていくこともあったようです。あと、工藤はちょっとヤンチャな一面があって、歳が離れた先輩にも物怖じしません。ピンチの時に僕がマウンドに行って、「頑張れよ!」と声をかけたことがあるんですが......「しっかり守ってくださいよ!」と、逆にゲキを飛ばされましたから(笑)

――石毛さんは内野を守りながら、工藤さんをどんな投手だと思っていましたか?

石毛 プロ入りして22、23歳ぐらいまでは真っ直ぐとカーブで投球を組み立てることが多かったのですが、24、25歳ぐらいに東尾さんからスライダーを教わっていた時期がありました。その影響なのかは定かではないですが、あれだけ落差があったカーブが落ちなくなってきて。そういった試行錯誤を繰り返しながら、投球を磨いていっていました。

 あと、いつかのキャンプの時期だったと思うんですが、「広島の投手がキャンプで200球、300球を投げ込んだ」といった記事を新聞で目にして。その頃は僕も、工藤とたまに飲み食いするような関係になっていたので、その際に「カープの投手がこんなに投げ込んでるけど、お前は投げ込まなくていいのか?」って聞いたんです。

 そうしたら工藤が「いや、石毛さん。肩は消耗品ですから、そんなに投げ込まなくていいんですよ」と。その頃は、中日や近鉄で投手コーチを務めていた権藤博さんの理論で、「肩は消耗品だから球数を制限しろ」というのが風潮としてあったので、その影響もあったのかもしれません。

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