衝撃の1対4トレード。牛島和彦は深夜2時に星野仙一から「ネクタイして待ってるから家に来い」と呼び出された (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sano Miki

── その状態で、投げられたんですか?

牛島 ひじをしならせて投げると指先に負担がかかって投げられないので、ひじをしならせないように投げていたら、肩がブチっといったんです。棘下筋が切れそうな状態のまま、薬を飲んでトータルで12勝までいったけど、その後は投げられる状態じゃなくて、最高勝率のタイトルは諦めました。

── その後、懸命なリハビリを続けたものの状態は戻らず、93年オフに32歳という若さで現役を引退しました。14年間のプロ生活では395試合に登板して、53勝64敗126セーブという記録を残しました。ご自分ではこの成績をどのように評価されますか?

牛島 ......どう評価するかなぁ? 自分の身体のサイズを考えると、「結構、頑張ったな」という思いはありますね。でも、もっともっと条件が合えば「もう少しできたのかな?」という思いもあります。500試合登板もしたかったし、結果的には746奪三振だったけど、1000三振も奪いたかったし......。でもそこまで頑張ってこられたということについては満足しています。いや、「満足」じゃないな、「納得」していますね。

おわり

  プロフィール
牛島和彦(うしじま かずひこ)/1961年、大阪府大東市生まれ。78年、浪商高校(現・大体大浪商)2年の春に、エースとしてセンバツ出場。79年、3年春のセンバツで準優勝し、3年夏は甲子園ベスト4。同年秋、ドラフト1位で中日に入団。86年オフに落合博満との1対4のトレードでロッテ移籍。おもにリリーフエースとして活躍し、セ・パ両リーグで最多セーブ投手となる。93年に現役を引退。プロ通算53勝64敗126セーブ。2005年に横浜(現DeNA)監督に就任。現在はプロ野球解説者として活躍している

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