衝撃の1対4トレード。牛島和彦は深夜2時に星野仙一から「ネクタイして待ってるから家に来い」と呼び出された (2ページ目)
── その前年の85年には巨人の定岡正二さんが近鉄バファローズへのトレードを拒否して、現役を引退しています。最悪の場合は引退のケースもあったのではないですか?
牛島 プロに入った時に、「これは無理やな」と思っていたのに、3年目で優勝できて、7年もプロでやってこられたわけだし、やることはやってきたという思いもあったから、変な話、「最悪、辞めてもいいかな?」とは思っていましたね。
衝撃トレードの黒幕は村田兆治⁉︎
── 結果的に、2日後にはロッテ行きを決意しました。そこからは完全に「ロッテの一員として頑張ろう」という思いに切り替わるのですか?
牛島 そうですね。もう決めたなら、やるしかないですからね。この2日間で考えたのは先発とクローザーの違いでした。チームで言えば、「リリーフエース」というのは、どうしても「先発ローテーションのエース」に次ぐ2番目の存在なんです。だから、先発ローテーションの中心を目指して、「ロッテで一番になろう」と考えました。でも、ロッテには村田兆治さんという大エースがいたんですけどね(笑)。
── 「人生先発完投」を座右の銘とする「昭和生まれの明治男」の村田兆治さんですね(笑)。当時の村田さんはトミー・ジョン手術から再起して、200勝を目指していた頃でした。
牛島 僕がロッテに入るきっかけは、村田さんの存在も大きかったみたいですよ。
── どういうことですか?
牛島 トレードを告げられる前日に12球団対抗のゴルフ大会があったんです。その時に村田さんが僕にチラッと、「一緒にプレーできたらいいな」って言っていたんです。その時は聞き流していたんですけど、のちにロッテに入ってから村田さんに「オレがおまえを獲ってくれって言ったんだよ」と言われました。
── 村田さんは牛島さんのことを評価していたんですか?
牛島 評価してくれていたのかどうかはわからないけど、当時、村田さんはひじの手術から復帰して通算170勝ぐらいだったんです。「200勝を達成するためには、いいクローザーが必要だ」ということで、落合さんのトレード話が進むなかで、「ぜひ牛島を獲ってほしい」と球団に直訴したらしいです。
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