「球史に残る5人の名投手」をジャッジ歴35年の杉永元審判員が選出。「野球を8イニングに変えた男」がいた (3ページ目)
横浜時代の97年に最優秀中継ぎのタイトルを獲得した島田直也この記事に関連する写真を見る島田直也(元横浜ほか)
"中継ぎエース"と言えば、山口鉄也投手(元巨人)や浅尾拓也投手(元中日)、宮西尚生投手(日本ハム)あたりの名前が挙がるでしょうが、私のなかで一番印象に残っている中継ぎ投手は島田直也投手(元横浜など)です。
島田投手の印象は、ポンポン投げて、サッと抑える。いささか失礼な表現ですが、首脳陣からすれば使い勝手のいいピッチャーだったと思います。
覚えているのは、島田投手が出てきて抑えると、攻撃陣のリズムが明らかに変わるということです。島田投手が登板した直後に打線がつながり、得点するというケースを何度も見ました。
1994年に50試合に登板して9勝、翌95年は46試合の登板で10勝。リリーフ投手でありながら、2年連続チーム最多勝をマークしたのは、島田投手の持ち味を最大限発揮した証だと思います。
体は決して大きくないですが、97年には60試合に投げて「最優秀中継ぎ」のタイトルを獲得、横浜は優勝した98年は54試合に登板するなどタフな投手でした。
佐々木主浩(元横浜ほか)
"クローザー"は佐々木主浩投手しかいません。9イニングの野球を「8イニングに変えた男」と言ってもいいかもしれません。佐々木投手の名前がアナウンスされると、相手チームにあきらめムードが漂った。それほど佐々木投手は突出していました。
佐々木投手と言えばフォークですが、その軌道は低めのストレートかなと思った瞬間にストンと落ちる。審判ですら途中まで見分けがつかないわけですから、バッターは本当に大変だったと思います。
1997年は38セーブで防御率0.90。98年は45セーブで防御率0.64。とにかく、佐々木投手が打たれて点をとられたという記憶がありません。ただひとつだけ覚えているのは、97年に近鉄から巨人に移籍してきた石井浩郎選手が9回に同点ソロアーチを放ったんです。その試合で球審を任されていた私は、「あの大魔神が打たれた......」と仰天したことを今でも鮮明に覚えています。
とはいえ、佐々木投手が点をとられたという記憶に残っているのはこれくらいで、ほとんどが三者凡退でした。まさに球史に残る"守護神"でしたね。
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