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開幕11連敗を喫したロッテ山本功児監督が決断した「荒療治」。リリーフだった清水直行に「先に投げろ」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

小林雅英が断って回ってきた先発マウンド

――そんな状況を、どのように打開していこうとしていましたか?

清水 先発が序盤に崩れる試合が多かったので、当時のブルペンには僕や小林雅英さんなどがいたんですけど「もう後ろから行こうか」という話になったんです。当時のブルペンには僕や小林雅英さんなどがいたんですけど、僕らが先発して3回か4回まで投げて試合を作れたら、仮にリードされても追いかけられるんじゃないかと。僕は1年目のシーズンに先発として投げた経験がありましたし、小林雅さんも新人の頃に経験があったことも理由でした。

 まずは抑えを務めていた小林雅さんに白羽の矢が立って、首脳陣から「先発できるか?」と聞かれたそうですが、断ったそうです(笑)。そのあと、当時8回を投げていた僕が山本監督に呼ばれて、「先に投げろ」と先発を任されることになりました。

 11連敗もしていると、勝ちパターンの8回、9回に投げる僕や小林雅さんは登板機会がないんです。調整登板で1試合か2試合投げた記憶はあるんですけど、やはり間隔が開いてしまいますし、「だったら、もう先に投げろ」ということになって。

 僕は「いつか先発に戻りたい」という思いもあったので、「どこまで持つかわかりませんし、3回しか持たないかもしれませんけどいいですか?」と山本監督に伝えました。そうしたら「それでもいい」と。そうして2年ぶりの先発のマウンドに上がったのが、連敗を止めることになったオリックス戦だったんです。

――再び先発に戻りたいという気持ちがあったということは、連敗がきっかけとはいえ、「チャンスだ」という思いはありましたか?

清水 心の奥底でそう思っていたことは事実ですが、それよりも当時は「とにかくひとつ勝たないといけない」という異様な雰囲気でしたからね。自分のことよりも目の前のことに必死で、「とにかく0を重ねていこう」という気持ちしかなかったです。

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