開幕11連敗を喫したロッテ山本功児監督が決断した「荒療治」。リリーフだった清水直行に「先に投げろ」
清水直行インタビュー 後編
(前編:阪神の現状と「借金返済」のために必要なこと>>)
阪神が開幕9連敗でセ・リーグのワースト記録を更新したが、パ・リーグではそれ以上の記録があり、トンボが12連敗(1955年)、阪急が10連敗(1961年)、西武が12連敗(1979年。引き分け2試合を挟む)、ロッテが11連敗(2002年)を喫している。
2002年のロッテで開幕連敗を阻止したのは、入団3年目、前年からリリーフとして活躍していた清水直行だった。そこから長らくエースとして活躍することになった清水に、当時のチームの状況、山本功児監督とのやりとり、連敗ストップを託された際の心境などを聞いた。
2002年、勝利投手になった清水(右)を笑顔で迎える山本功児監督この記事に関連する写真を見る***
――当時、ロッテが11連敗してしまった要因として、どんなことが考えられますか?
清水直行(以下:清水) 主軸の打撃不振をはじめ、守備の要だった小坂(誠)さんが開幕3試合目で足を骨折して離脱したりと、いろいろと重なったこともありますが、やはり一番は失点の多さです。連敗中で3点以内に抑えた試合は、(ネイサン・)ミンチーが先発した開幕戦だけでしたから。
3点以内に抑えられないとなると、当然4点取らなければ試合に勝てません。でも、11連敗した11試合で15点しか取れていないのに、失点はその4倍以上の67ありました。これだけ得失点差があると厳しいですよね。
――当時、ロッテを指揮していた山本功児監督は熱血漢としても知られ、選手にゲキを飛ばすこともあったと思いますが、連敗中はどんな言葉をかけていましたか?
清水 ミーティングの時に「お客さんが見に来てるんだから、こんな試合をやっていてはダメだ」と強めにおっしゃっていた記憶があります。ただ、開幕連敗の記録(12連敗)が近づくにつれて選手たちはどんどん動きが固くなっていきましたし、ベンチ裏では相当な悲壮感、危機感が漂っていましたね。野手はバッティングもガチガチ、投手もピッチングが窮屈になるという悪循環に陥っていました。
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