張本勲が終生の友、江藤慎一を語る。「慎ちゃんも俺も白いメシを腹いっぱい食べたいと思ってプロを目指した」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 江藤は目標にしていた初のタイトルを獲り、プロ野球選手としての地位を確固たるものとした。交友関係も当然、広がる。セ・リーグとパ・リーグをそれぞれ代表する若いスラッガー同士として知り合い、やがて終生の友となっていく張本勲(当時東映フライヤーズ)との親交もこの頃から始まった。

 きっかけは江藤が「わが輩はユニフォームである」で紹介した大毎オリオンズの葛城と、東映のエースであった土橋正幸であった。

 土橋は実家が浅草の鮮魚店で、都立日本橋高校を卒業後、家業を手伝いながら、同じ浅草六区にあるストリップ小屋「フランス座」の軟式野球チームでプレーしていた。渥美清、関敬六、谷幹一、深見千三郎、ビートたけしら戦後を代表するコメディアンを輩出したフランス座は野球チームもまた有名で、昭和31年に進行係で在籍していた井上ひさしもそのレベルの高さをことあるごとに語っていた。

 土橋はフランス座からテスト生で東映に入団した変わり種であったが、実力は疑う余地もなく、入団3年目には東映の主戦投手になっていた。当時のパ・リーグは、投手と打者は絶対に口を利かなかったが、葛城がたまさか、浅草のバーで飲んでいた際、生粋の江戸っ子の土橋が「ここは俺のシマだから」と勘定を持ったことから、張本も含めた3人の交流が始まった。やがて葛城が中日に移籍したことで、江藤にその輪が広がったのである。

 張本の述懐。「中日に行った葛城さんはすぐに慎ちゃんと仲良くなってね。そんな話を聞いていたもんだから、じゃあオープン戦で東京に来たら、一緒に一杯やろうとなって、私と慎ちゃん、葛城さん、土橋さんの4人で居酒屋で飲んだ。それがヨーイドンの始まりだったんだよ」

 キャンプ日誌の効果であろうか。セントラルとパシフィックのリーグを越えた交友が始まった。そして江藤と張本は知り合った当初から、気が合った。

「慎ちゃんは年が3つ上だけど、入団が同期でお互いに子どもの頃から貧乏で苦労を重ねていたからね、ウマがあった。五分の兄弟分だよ。ワンちゃん(王貞治)やミスター(長嶋茂雄)は野球では苦労しても生活で苦労したことはなかったと思うんだ。でも慎ちゃんも俺も本当の空腹を経験していたし、白いメシを腹いっぱい食べたいと思ってプロを目指した。そんなハングリーさも相性として合ったね」

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