斎藤佑樹が振り返る幼少時のほろ苦い記憶「せっかく野球を始めたのに...1球でやめました」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」連載第1回

 昨年、11年間のプロ野球生活にピリオドを打った斎藤佑樹。全国制覇を達成した早稲田実業時代に「ハンカチ王子」として一世を風靡し、早稲田大学でも「佑ちゃんフィーバー」を巻き起こした。ドラフトでは4球団から1位指名を受け、日本ハムに入団。プロ1年目に6勝をマークすると、2年目には開幕投手を任されるなど順風満帆なプロ生活に思えた......。だが、右肩のケガを機に状況は一変。それからは現役引退まで長く苦しい野球人生を送ることになった。「web Sportiva」ではそんな波乱に満ちた野球人生を、本人の証言をもとに振り返ってみたい。

兄・聡仁さん(写真左)の影響で小学校1年から地元の少年野球チームに入った斎藤佑樹兄・聡仁さん(写真左)の影響で小学校1年から地元の少年野球チームに入った斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る 1988年6月6日、群馬県太田市で斎藤佑樹は生まれた。父の寿孝さんは高校時代、県立太田工業の野球部に所属、俊足好打の投手兼外野手としてプレーしていた。

【野球中継よりも『名探偵コナン』】

 僕の野球にまつわる最初の記憶は3歳の時のことです。家の庭で父とキャッチボールをしたんです。ところがその1球目、父がいきなり5メートルくらいの距離から硬式ボールを投げてきて、それが頭にドーンと(笑)。たぶん下から投げてくれたとは思うんですけど、3歳ですから捕れるはずありませんよね。硬球がおでこに当たって、そりゃ、号泣です。あの1球で僕は一度、野球をやめました。せっかく野球を始めたのに、1球でやめた(笑)。

 父は「あれは3球目だった、2球目までは佑樹はちゃんと捕っていた」と言うんですけど、僕の記憶のなかではあれは1球目です。それにしても、なぜ硬球だったんですかね。軟球がウチになかったのかな。それから、野球はもうイヤだと思っていました。

 その後しばらく間があいて、次の野球の記憶は小学校に入った頃。3つ上の兄(聡仁さん)が地元の「生品(いくしな)リトルチャンピオンズ」という軟式野球チームで野球をやるようになって、それを見ながら「僕もやりたいな」と思ったのを覚えています。その頃、兄とキャッチボールをしたり、兄の練習を見に行ったりしていましたね。

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