斎藤佑樹が振り返る幼少時のほろ苦い記憶「せっかく野球を始めたのに...1球でやめました」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 当時、父が僕とのキャッチボールで使っていたキャッチャーミットのことも印象に残っています。父は最初、自分の古いピッチャー用の茶色いグローブを持っていました。で、次に買ったのがミズノの黒いキャッチャーミット。僕が中学の頃まではずっとそれを使っていたと思います。

 その後、僕が硬式球を投げるようになったタイミングでローリングスの新しいミットに変わりました。父はキャッチボールをすると、決まって一球ごとに具体的なアドバイスをくれました。とくに「ここで腕を一拍止めろ」という言葉は強烈に覚えています。テイクバックの時、下におろした手を一回、しっかり止めろ、と。僕はそのアドバイスに対して、ああ、体を開かないようにしなくちゃいけないんだな、と理解していました。父のアドバイスはいつも実践向きでしたね。

 父はできないことを咎めるより、できたことを褒めることのほうが多かったかな。小学校1年生の時のマラソン大会で僕、6位になったことがあったんです。体調を崩してしまって、「絶対に1位になれたのに、やっちゃった」と凹んでいたら、父が褒めてくれた。順位じゃなくて、どれだけ真剣にやったかどうかなんだと......だから父に怒られた記憶はほとんどないんですけど、一度、小学4年か5年の時、父にグラウンドで怒鳴られたことがありました。

 僕が試合で投げていて、ストライクが入らずにフォアボールを連発していたのかな。その時、ふてくされてベンチからマウンドまで歩いていたんです。そうしたら保護者席から父の「走って行け!」ってでっかい声が聞こえてきて......あれにはビックリしました。正直、そんなでかい声で言わなくても、と思いましたよ(苦笑)。

【大好物は母のつくる豚汁】

 そんな父との距離感、僕にとってはすごくよかったと思っています。父も母も仕事をしていたので、小学校から家に帰ってきたら自分で鍵を開けて、父と約束していたトレーニングを必ずやっていました。

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