平石洋介は西武からのオファーを一度は断るも受諾。松井稼頭央の人間性と言葉に心が動かされた

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sportiva

平石洋介インタビュー(後編)

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 1980年生まれの平石洋介にとって、埼玉西武ライオンズと言えば「絶対王者」だった。

 85年から10年間でリーグ優勝9回、日本一6回。工藤公康や渡辺久信、郭泰源らで固められた投手陣は盤石で、秋山幸二、清原和博が中軸に座る打線の破壊力は圧巻だった。

 それでいながら、87年の巨人との日本シリーズ第6戦で辻発彦(現・監督)がセンターのウォーレン・クロマティの緩慢な守備を突き、単打でありながら一塁から一気にホームに生還した走塁を象徴するように、小技も洗練されていた。隙がない。まさにそんなチームだった。

今シーズンから西武の一軍打撃コーチとしてチームを支える平石洋介今シーズンから西武の一軍打撃コーチとしてチームを支える平石洋介この記事に関連する写真を見る

【心動かされた松井稼頭央の言葉】

 獅子の脅威は、平石が指導者になっても変わらなかった。とりわけ楽天で監督を務めた2019年は中村剛也、秋山翔吾、山川穂高、森友哉ら生え抜き中心の強力打線が黄金期を彷彿とさせ、課題とされていた投手力をカバーして余りあるほどの爆発力があった。

 まさか、そんなチームに自分が──。

 昨年11月に西武の一軍打撃コーチに就任した平石に、そんな感情が去来した。

「ずっと楽天でやらせてもらって、ホークスに移ってからも、まさかライオンズに行くなんて思ってもいなかったですから」

 西武のコーチを引き受けた最たる理由。それはPL学園の先輩であり、楽天でも選手、指導者として同じ時間を共有した西武のヘッドコーチ、松井稼頭央の存在である。

 最初に連絡をくれたのも松井だった。これは平石が後日知ることとなるのだが、「稼頭央となら腹を割って話ができるだろう」という渡辺久信GMの配慮があったのだという。

 昨年のシーズンオフ、松井から電話を受けた平石は一度オファーを断っている。というのも、ちょうどこの時期にソフトバンクと22年シーズンの契約交渉をしており、球団からの要請を受けるか否か逡巡していた。結果的にチームを離れると決断をする平石は、いきさつを説明したうえで松井に伝えた。

「ホークスを正式に退団したら、1年間、現場を離れようと思うんです」

 それでも松井は食い下がった。

「それやったら、なおさらうちに来てくれへんか? なにがなんでもヨウ(平石)の力を貸してほしい。これはライオンズの総意や。また一緒に野球をやろう」

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