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生命の危機を乗り越えた奇跡の子・山﨑福也は崖っぷちオリックスの救世主となるか (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Koike Yoshihiro

「そうなんです。あの子は"奇跡の子"なんです。だから、ちょっとやそっとの苦労でへこたれるわけがないんです。プロが厳しい世界なのは、主人からいろいろ聞いていますから、わかっているつもりです」

 父の章弘さんは育英高校(兵庫)で強肩・強打の捕手として注目され、巨人、日本ハムでプレーしたのち、いくつかの球団で指導者として活躍された。

「あの子がいま生きているのは、3つの奇跡があったからです。1つの奇跡でもなかなか起こらないのに......。福也は人生最大のピンチに、奇跡が3つも重なった」(路子さん)

 1つ目の奇跡は、高校進学を控え、見た目は元気いっぱい、健康そのものに見えた福也少年に路子さんが"精密検査"を勧めたこと。

「なんだったんでしょうね......ほんと"神の声"としか思えないですよね。私の勧めを素直に受け入れた福也も、今にして思えばよく納得したなと」

 2つ目は、路子さんのお姉さんが「神の手」を探し当てたこと。

「私はもうぼう然としてしまって、どうしたらいいのかわからない。それで姉が必死になって探してくれて。あまり突然のことだったので、正直、私も最初はちょっとあきらめてしまったような時期もあって......」

 脳腫瘍が生命を脅かす病気だということは、広く認知されている。そのなかでも症例の少ない「小児脳腫瘍」は専門に治療できる医師も少なく、困難を極めたという。

「最初に診断してくれた病院でも治療は難しいと。でも姉が『そんなはずがない。これだけ医療が進んだ時代に、治せないわけがない』と。ちょっとでも可能性のありそうな病院があると、すぐに連絡を取り、断られたらまた探す......それを何十回も繰り返して、やっとたどり着いたのが北大病院の澤村先生だったんです」

 そして路子さんは、すぐに澤村先生に手紙を書いた。

 書いてみたら、母としての思いよりも、福也少年の野球に対する思い、日大三高で甲子園を目指そうとしている情熱......そちらのほうが便箋の大部分を占めていたという。

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