広岡達朗に面と向かって反抗→近鉄にトレードされたヤクルト・ドラ1の「ガッツマン」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

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【公私ともにお世話になった永尾泰憲さん】

――広岡達朗監督時代の懐かしいメンバーについて伺っています。前回までは角富士夫さんについてでしたが、今回はどなたにしましょうか?

八重樫 永尾さんはどうかな?

――永尾さん......、永尾泰憲さんですね。佐賀西高校からいすゞ自動車を経て、1972(昭和47)年ドラフト1位でヤクルトアトムズに入団。1950年生まれですから、八重樫さんよりも1歳上ですが、プロ入りは八重樫さんのほうが3年早いことになりますね。

八重樫 永尾さんとは公私ともに仲がよかったんですよ。初めて会ったのは1973年の自主トレの時だったのかな? 僕が練習していたら、永尾さんがやってきて話しかけられたんです。それまで面識はなかったんだけど、「永尾と言います。ノンプロ時代の寮が横浜で、八重樫クンのアパートのすぐそばだったんです」だって(笑)。それが最初の会話で、「ずいぶん気さくな人だな」って思ったのが第一印象。年齢は永尾さんのほうがひとつ上だけど、全然そんなことを感じさせない気さくさがありましたね。

ヤクルト、近鉄、阪神と渡り歩いた永尾泰憲ヤクルト、近鉄、阪神と渡り歩いた永尾泰憲この記事に関連する写真を見る――それ以来、ずっと親密な関係が続いたんですか?

八重樫 のちに詳しく話すけど、永尾さんが近鉄に移籍したあとも、ずっとおつき合いは続きました。あの頃、千葉の行徳にヤクルトがマンションを持っていたんですよ。本社の人だけじゃなくて球団関係者もマンション購入ができたんだけど、永尾さんもそのマンションを買って住んでいたんです。そこにもよく遊びに行きました。

――ご自宅まで訪れる仲だったんですね。

八重樫 神宮で試合があるでしょ。それで、「明日は休みだ」という日になると、永尾さんが「八ちゃん、うちに遊びに来いよ」って誘ってくれるから、試合後そのまま行徳まで泊まりに行って、食事をごちそうしてもらったことも何度もあります。奥さんとも顔なじみになって、本当によくしてもらいましたよ。

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