松坂大輔にとって「近くて遠かった金メダル」。アテネで寝られず悔やんだ、たった1球の失投

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Reuters/AFLO

松坂大輔 オリンピック壮絶秘話(後編)

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 日本の野球界がオールプロで初めて臨むことになった2004年のアテネ五輪。松坂大輔はまたもエースの役割を託される。

「こうなったら世界一へのこだわりは出てきますね。世界へ出てレベルの高い選手を見れば、自分も負けられないと思うでしょうから......何が何でも金メダル、持って帰ります」

 アテネ五輪の野球は、世界最強のキューバ、メジャー経験者を揃えたカナダ、アジアの脅威と囁かれた台湾など、侮れない相手が並んでいた。そんななか、松坂は準決勝から逆算した2試合の先発が予定されていた。

2004年のアテネ五輪、準決勝のオーストラリア戦で好投する松坂大輔2004年のアテネ五輪、準決勝のオーストラリア戦で好投する松坂大輔 松坂が大野豊投手コーチから、まず予選リーグのキューバ戦の先発を告げられたのは、直前合宿を行なっていたイタリア・パルマでの練習中のことだった。大野は言った。

「大ちゃんはキューバだからね。頼むよ」

 そう告げた瞬間の松坂の表情が忘れられないと、大野は言っていた。

「アイツ、心底、うれしそうな顔してましたね」

 2度目のオリンピック、シドニーの雪辱、そして野球人生初となる世界最強のキューバ戦──松坂にはアドレナリンが吹き出す条件が整っていた。実際、キューバ戦のマウンドに立った松坂のストレートはマックスで154キロを記録。インコースは詰まらせ、外のボールには手を出させない、圧巻のピッチングを披露する。4回ワンアウトまでキューバ打線をノーヒットに抑えていた。

「僕、集中している時って周りがよく見えるんです。あの日も周りが見えまくっていました。スタンドの人も見えていましたし、声もよく聞こえたし......キューバのバッターも球際に強い感じはしましたけど、気を抜かなきゃ大丈夫かなって感じでした」

 ところが次の瞬間、まさかの出来事が松坂を襲う。

 松坂の投げたアウトコース、やや低めの151キロのストレートを、キューバの3番を打つ20歳の主砲、ユリエスキ・グリエルが強振した。弾丸の如き打球がマウンドの松坂を襲う。

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