中日・柳裕也、5年目ブレイクの理由。春季キャンプで感じた違和感、先輩・涌井秀章に学んだこと (4ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Jiji Photo

 このボールはリリースしてからストレートのような軌道を描いたあと、右方向(三塁側方向)に曲がりながら落ちていく。そのため、プレートの一塁側から投げたほうがベース板を広く使うことができる。

 ただその反面、投球板の左端から投げることで、柳の持ち味である縦スライダーは殺されていた。

「一塁側を踏んでいる時にスライダーを投げると、どうしても膨らんで、曲がり切る前に打者にたどり着く感じだったので、去年はあまり投げていませんでした。今年は三塁側を踏むようにして、また使えるようになっています。

 2019年の話をすると、ほぼ落ち球(シンカー)を投げていません。ほとんど曲がり球で勝負していたので、打者への攻め方が今より少なかった。どの球速で曲げるか、曲げ幅をどうするかというだけでした。今はそこに落ちる球も投げられるようになって、だいぶピッチングの幅が広がったと思います」

◆谷繁元信「ずる賢さが足りない」と指摘。セ・リーグ捕手を細かくチェック>>

 ストレートの球速が140キロ強とプロで平均以下の柳だが、2016年ドラフトで1位指名を受けたように高く評価される点のひとつは、自身で考えながら試行錯誤できることにある。己の感覚と対話しながら、さまざまな改良を繰り返すことができるのだ。

 オープン戦では窮地に追い込まれながら、最後の最後で踏みとどまった。すぐに以前の投球感覚を戻す練習をスタートさせ、今季開幕を迎える。自身初登板となった3月27日の広島戦は4回3失点と結果を残せなかったが、続く4月3日の阪神戦を8回無失点に抑えると、ここから快進撃が始まる。

 決して飛び抜けた豪速球や変化球を持つわけではない柳が見せたのは、極上の投球術による奪三振ショーだった。

(後編に続く)


【profile】
柳裕也(やなぎ・ゆうや)
1994年4月22日生まれ、宮崎県都城市出身。小学校時代は軟式野球で全国大会優勝し、中学校時代はシニアの日本代表として少年野球全米選手権大会でも優勝を果たす。横浜高校時代は甲子園に3度出場。明治大学でもエースとして活躍し、大学ナンバー1の逸材と評価される。2016年ドラフト1位で中日に入団。2019年、初めて規定投球回数に到達して11勝をマークする。180cm、85kg。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る