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阪神ドラ1の肩書きは「しんどかった」。伊藤隼太「ここ数年は悩むことも多く、出口のない中で答えを探していた」 (4ページ目)

  • 寺下友徳●取材・文 text by Terashita Tomonori
  • Photo by Terashita Tomonori

 ドラフト1位の選手として入団し、当たり前のように試合に出してもらっていた時には気づけなかったんですが、試合に出場できるのがどんなに幸せなことか、と。僕の場合、いざ試合に出たくても出られない立場になった時に、「必死になってやらないといけない」ということに気づくのが遅かった。もっと若い時に気づいていれば、阪神での結果は変わったと思います。

ーーただ、そこに気づけたのは人生のうえで大きな収穫でしたね。

伊藤 そうですね。こういった経験を愛媛マンダリンパイレーツの若い選手たちにも伝えていきたいです。

(後編につづく)

【profile】 
伊藤隼太 いとう・はやた 
1989年、愛知県生まれ。中京大中京高、慶應大を経て、2011年ドラフト会議で阪神から1位指名を受ける。1年目から開幕スタメン外野手として出場したものの、成績を残せずに1軍に定着できない日々が続いた。17年から代打で頭角を現し始め、18年にはシーズン通じて1軍に帯同しチームに貢献。20年に戦力外通行を受け、21年より四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツでコーチ兼選手を務めている。

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