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阪神ドラ1の肩書きは「しんどかった」。伊藤隼太「ここ数年は悩むことも多く、出口のない中で答えを探していた」 (3ページ目)

  • 寺下友徳●取材・文 text by Terashita Tomonori
  • Photo by Terashita Tomonori

【注目されなくなって定まった覚悟】

ーー伊藤選手にとって阪神時代は、そういった状況を打破する戦いだったと思います。

伊藤
 でも、3、4年目になると注目されなくなってきたんです。次の若い選手が入ってきたので。入団当初は嫌でも注目されて、大した選手でもないし、大した結果も出していないのに毎日取材を受けて。

 正直、「ほっといてくれ」と思っていたんですが、そういった取材が減ってきて、5年目に右肩をケガした時には「記事にならない」と、相手にされなくなった。そこで、今まであったものがなくなった時、何もしていないのに注目してもらえていたのは恵まれていた状況だったと感じました。そして、「もっと頑張って取り上げてもらおう」と思ったんです。

 最初のころは生意気に(取材に対して)「もういいですか」という感じでしたが、5年目以降はメディアの皆さんとの接し方も変わったと思いますし、真摯さや言動を意識するようになりました。

ーーそういった姿勢の変化が2017、18年の代打成功率の高さにもつながったのでしょうか?

伊藤 NPBの1軍でプレーするには覚悟が必要だと思います。周りには「もっとリラックスして」と言ってくれる方もいたんですが、僕はそうできなかった。集中しきって、「結果次第では、明日メシが食えない」と思わないと結果が伴わなかったです。一日一日、神経をすり減らして一打席一打席に全神経を集中してやっていました。自分の一投一打によって、他の人や家族の生活、ファンの皆さんの想いを背負っていたら、軽いプレーはできないです。

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