アテネ五輪、台湾戦で日本ベンチに迫られた重要な決断。高木豊は中畑清に「わざと負けますか?」と聞いた (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

アテネ五輪で守備走塁コーチを務めた高木氏 photo by Murakami Shogoアテネ五輪で守備走塁コーチを務めた高木氏 photo by Murakami Shogo――予選が終わった時点で、準決勝でオーストラリアと戦うことが決まりました。やはり意識しましたか?

高木 そうですね。ただ、その前(本大会予選)の台湾戦で、我々は判断を迫られました。3回に3点を取られて、6回終了時点で負けている時、中畑さんに「このまま日本が負けたら、オーストラリアは台湾に抜かれて予選で落ちます。でも、この台湾戦に勝ったら、準決勝で当たるのはオーストラリアです。このまま、わざと負けますか?」という話もしていました。

 準決勝で、もう一度台湾と戦うか、もう一度オーストラリアと戦うか。台湾のデータは豊富にある一方で、オーストラリアのデータはないという状況も踏まえて......みんなでずいぶん悩みましたけど、最終的には中畑さんが「勝ちにいくぞ」と。「全勝で金メダル」と掲げながら、脳梗塞で本大会には来られなかった長嶋茂雄監督の意志を貫こうと。選手たちにも「どっちが戦いやすいか?」と聞きましたが、「オーストラリアと戦いましょうよ」と返ってきました。

 その台湾戦では、先発の上原(浩治)も全身にテーピングをして満身創痍で投げていましたし、そういう姿を見たら上原に負けをつけることは許されないとも思いましたね。そうやってみんなが奮起して、結果としてサヨナラで勝利したんです。

――リベンジを期して臨んだ準決勝のオーストラリア戦は、0-1で惜しくも敗れました。1点ビハインドで迎えた7回に、2死一、三塁という場面がありましたが、そのチャンスを生かせなかったことも痛かったと思います。

高木 打者が藤本(敦士)の時ですよね。マウンドにいたのは、当時の阪神の同僚でもあるジェフ・ウィリアムス。左対左ではすごく打ちにくい投手であることは明らかで、右の代打を出すか否かを迫られる場面でした。

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