「東大だからプロ野球選手になれた」ヤクルト宮台康平が語る青春と今 (2ページ目)
とはいえ、宮台の軌跡を振り返ると、「文武両道」を貫いてきたことがわかる。小1で『ハリー・ポッター』を読破し、小4で野球をはじめた。以降、宮台にとって、「文」と「武」は、やっていて同じような感覚を味わえるものだった。
「小さい頃から、何かにコツコツ打ち込むことが好きだったんです。家の近くの塾にも通っていましたが、中学受験に特化したような塾ではなく、あくまで学校の勉強のサポートという位置づけ。勉強は学校がメインでしたね。野球も、あまり体が大きくなかったこともあって、トップレベルを目指すという意識は薄かった。地元の中学に進めばまた友達と一緒に野球ができる、小学生の時はそれぐらいしか考えてなかったと思います」
公立中学に入学後、野球部に入部。中2から高校受験を見据えて、地元の進学塾「中萬学院」に通い、勉強の精度を上げていく。
秀でた学業成績を残すなか、当時の宮台にはひとつだけ「5」が取れなかった教科があった。
「技術・家庭科です。受験科目での不得意はなかったんですが、オール5ではなかったので、9教科の評定は44くらいだったかなと」
そして、高校受験時に、さらに勉強と野球を両立したいという思いで選んだのが、神奈川県立湘南高校だ。
「勉強で開成や学芸大附属高校に行けるほどでもなく、野球で私立の強豪校に入れるほどでもなかった僕にとって、湘南高校はベストな環境でした。進学校ながら、魅力的な野球を見せていた川村(靖)監督のもとでやりたいという思いもありましたね」
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