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中日を支えたお買い得な名助っ人たち。森繁和が明かす中南米ルートの構築秘話 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 メジャー傘下の若手選手に加え、契約先を探す選手がウインターリーグでアピールしていた。アメリカ行きがかなわない選手のなかにも、ポテンシャルを秘めた者が多くいる。彼らなら予算の範囲内で獲得でき、投資としてローリスク・ハイリターンを狙うことができる。

「オレが連れてきた選手は年俸約3000万から4000万くらい。3人連れてきても1億はかからない。5000万とか8000万、1億で連れてきて、『当たらなかった』とか言われるのはしゃくだからね」

 2004年オフには無名の3選手を獲得。目的は補強というより、現地で「なんとかしてくれないか」と頼まれたからだった。ルイス・ブラウン、クリスチャン・ベロアは出場機会ゼロに終わったが、ルイス・マルティネスは2年間で14勝を挙げている。約3000万円という年俸を考えれば御の字だ。そしてグラウンドでの活躍以上に、現地球団とパイプができたことが大きかった。

「獲得だけじゃなく、左ピッチャーをドミニカへ連れてこないかと言われた。それで2005年に長峰昌司と高橋聡文を派遣したら、うまくいった。数えたら、30人近くの日本人選手がドミニカに行っている。オレにとっての目的は、途中から変わっていった」

 吉見一起や中田賢一(現・阪神)、浅尾拓也らがドミニカのウインターリーグで飛躍のきっかけをつかんだ。中日の成功を見て、若手を中南米へ武者修行に行かせる流れはソフトバンク、巨人らに波及していく。

 一方、森氏は補強でも力を発揮した。"掘り出し物"だったのが、2008年春季キャンプでテスト入団したマキシモ・ネルソンだ。同年の沖縄キャンプを終えて空港から移動する際、カバンの中から実弾が見つかり大騒動になったこの右腕投手は、ドミニカ野球の奥深さを物語る投手だった。

 ヤンキースから"プロスペクト"(有望株)と見込まれたネルソンの実力を森氏は2006年オフに聞きつけ、ドミニカにある広島カープのアカデミーを借りてテストを行なった。サトウキビ畑の中から裸足で現れたネルソンは、ウォーミングアップも行なわないまま1球目から球速151キロを計測。次は153キロを投げ、森氏は「もういいよ」と合格を出した。

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