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中日を支えたお買い得な名助っ人たち。森繁和が明かす中南米ルートの構築秘話 (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 古くは1970年代に阪急(現・オリックス)で打点王に輝いたボビー・マルカーノ(ベネズエラ)、1980年代末から西武の優勝に貢献したオレステス・デストラーデ(キューバ)などが活躍してきたが、あくまでアメリカ球界を経由した者たちだった。1997年から2001年まで西武、巨人でプレーした大砲ドミンゴ・マルティネス(ドミニカ)もそのひとりだ。

 森氏は西武で一緒になった際、マルティネスに言われた言葉が頭に残ったという。

「ドミニカやベネズエラ、プエルトリコ、コロンビア、メキシコではウインターリーグが開催されている。そのなかにいい選手がいるから、見にくれば面白いんじゃない?」

 森氏は1977年に開催された第3回インターコンチネンタルカップで日本代表として中米のニカラグアを訪れたことがあり、カリブ海のウインターリーグに「そのうち行ければいいな」と思っていた。

 そしてチャンスが訪れたのは2004年オフ、中日のコーチとして1年目を終えた頃だ。

 当時、5年ぶりのリーグ優勝を果たした中日は立浪和義、福留孝介、谷繁元信、井端弘和、荒木雅博らレギュラー陣に脂が乗り、年俸総額が高まっていた。外国人には台湾の大学から獲得したチェン・ウェイン(現・阪神)、森氏とともに横浜(現・DeNA)から移籍してきた右腕ドミンゴ・グスマン、2年連続21本塁打のアレックス・オチョアが在籍し、翌年には2年連続本塁打王のタイロン・ウッズが横浜から加わることも決まっている。新たな補強に使える予算は限られていた。

 一方、森氏は自分の目で見て新外国人を獲得したいと考えた。エージェントが売り込んでくるのはいい面ばかりで、自身で見ないと総合的に判断できない。そうして浮かび上がったのが、常夏の国ドミニカのウインターリーグ視察だった。

「ちょうどメジャーリーグがドミニカにアカデミーをつくり始めている頃で、若くていい選手がいっぱいいると聞いていた。実際に見に行って、これはすごいなと思ったよ」

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