ノーサインだった安田猛ともう一人のエース。捕手・八重樫幸雄が大変だったこと (3ページ目)
【1980年代のあのエースもノーサインだった】
――ノーサインだったからこそ、安田さんのあのテンポが可能になったんですね。他にノーサインのピッチャーはいたんですか?
八重樫 関根(潤三)監督時代の尾花(高夫)がそうでしたよ。尾花はストレートの他に、カーブが2種類、スライダーが3種類、フォークも2種類ぐらいあったから、かなり大変だったけど、安田さんの場合はそんなことはなかったな。ただ、安田さんはバッターのタイミングを狂わせるために、マウンド上で長く持ってみたり、すぐに投げたり、足を高く上げたり、クイックで投げたりするから、「とにかく安田さんから目を離すな」と思っていました。尾花の場合は間合いが長かったから、そこまで気を遣う必要はなかったんだけどね。
――まさか、尾花さんもノーサインだったとは!
八重樫 厳密に言えば、尾花の場合はカーブのサインだけはあったんです。尾花のスピードでいきなりカーブを投げられると、さすがに対応できなかったので。
――安田さんとバッテリーを組む機会が増えると、当然、双方のコミュニケーションも濃密になっていったんじゃないですか?
八重樫 プロ入りして以来、試合前、試合後のミーティングの回数が一番多かったのが安田さんでした。安田さんからは「ピッチャーの心情」というものを教わりましたよ。キャッチャーとしての僕のレベルを引き上げてくれた最初の人が安田さんで、次が野村(克也)さんでしたね。
――安田さんの死後、「とにかくお酒が好きだった」という記事をいくつか読みました。お酒の席での安田さんはどんな方だったんですか?
八重樫 確かにお酒が大好きな人でしたね。でも、後輩に対して威張ったり、怒ったりしないで、「飲め、飲め」と笑顔で酒を勧めてくれる人でした。でも、安田さんと同級生の若松さん、松岡さん、大矢さんに言わせると「安田は酒癖が悪い」となるみたいだけど。少なくも僕はそう感じたことはなかったな。
――じゃあ、八重樫さんにとっては、安田さんとの酒宴は楽しいものだったんですね。
八重樫 とても楽しかったですよ。あれは広島だったと思うけど、ある時、安田さんのお母さんが福岡から広島まで差し入れを持ってきてくれたことがあったんです。大量の茹でたジャコを持ってきてくれて、それが絶品でね。遠征先のホテルで、安田さんとジャコをアテにしてお酒を飲んだのはいい思い出だな......。
――まだまだ安田さんの思い出は止まりませんね。ぜひ、次回も安田さんとのエピソードを聞かせてください。
八重樫 安田さんと言えば王(貞治)さんとの対決が懐かしいな。次回はその辺りをお話ししましょうか。
(第56回につづく)
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