森VS野村、投手交代の心理戦。史上最高の日本シリーズは「不動」が策だった
黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第6回「盟友」
【森と野村は、互いを認め合う盟友だった】
「野村監督と五分に戦うためには動かないこと。下手に動けば相手の術中に見事にハマってしまうから。とにかく"辛抱"ということを学んだ日本シリーズだったと思うし、みなさんが言うように、『史上最高の日本シリーズだ』と言っても何も差支えないと、僕自身も思いますね。監督同士の"不動"を策とする、無言の戦いが繰り広げられたシリーズでした」
1992年、1993年の日本シリーズについて記した、拙著『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)の取材において、最初から最後までほぼ「野村克也」の話題に終始したのが、西武の監督として黄金時代を築いた森祇晶だった。
1992年、1993年に日本シリーズを戦った西武の森監督(左)とヤクルトの野村監督(右) Photo by Sankei Visual 日本シリーズ前に「キツネとタヌキの化かし合い」、あるいは「似た者同士」とも言われた2人は、お互いを強烈に意識していた。生前の野村は言った。
「向こうはどう思っていたかはわからないけど、変なライバル意識というのかな、そういうものがオレにはあった。『森には負けたくない』という思いがずっとあったよ。オレ、そもそも巨人コンプレックスだから(笑)。子どもの頃から大の巨人ファンだったからね。彼はスカウトされて巨人に入団したけど、オレは12球団のどこからも声がかからず、南海にテスト入団。選手時代も、監督になってからも、『森には負けたくない』っていう思いはずっと頭の片隅にあったね」
野村は森を「ライバルだ」と言い、森は野村を「野球を知り尽くした人」と語った。球史に残る2人の「知将」はお互いを意識し、敬意を抱いていた。その2人が初めて相対したのが1992(平成4)年の日本シリーズだった。森は言う。
「僕はたくさんの日本シリーズを戦ってきましたが、その中でもあの2年間はまったく"毛色の違う"日本シリーズというのかな。もっと正確に言うとしたら"監督同士の戦い"かもしれない。正直なところ、"野村ヤクルト"との個人的な戦いだったシリーズ。当時はそういう見方をしていました」
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