2020.11.24

野村克也と伊原春樹に決定的な亀裂。ある選手の盗塁失敗が原因だった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第5回 「愛憎」

【チームメイトから始まった野村克也と伊原春樹の関係】

 新刊『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)の取材において、野村克也に対してハッキリと批判的な立場を表明したのが、西武の名参謀として名高い伊原春樹だった。

2000年、阪神の監督とコーチとして共に戦った野村克也(左端)と伊原春樹(右端)だったが...... photo by Sankei Visual 1992(平成4)年、1993年は敵将の野村と相対し、2000年には阪神タイガースの「監督とコーチ」として同じユニフォームを着ることになった。伊原は自著『指導者は嫌われてこそ一人前』(ベースボール・マガジン社)で、野村に対して次のように記している。

――昔はあこがれていた。

 伊原と野村は1979(昭和54)年からの2年間、西武ライオンズの現役選手としてチームメイトになっており、1980年限りで共に現役を引退している。この頃は、伊原も野村も控え要員としてベンチを温めることが多かったが、常に野村の隣に座っていた伊原は、その野球哲学に一目置いていたという。

 そして時が流れ、1992年の日本シリーズで、野村はヤクルトの監督として、伊原は西武の守備・走塁コーチとして対峙することとなった。当時の野村は"ID(Import Data)野球"で注目を浴びていた頃だった。

「確かにあの頃はID野球が話題になっていたけど、ひも解いてみるとどうってことないんですよ。そんなことはどの球団でもスコアラーを中心にやっていること。それを野村監督自らあの口調でしゃべるから話題になっただけで、どこの球団も大差ないと思いますよ」

 2年にわたる西武とヤクルトの日本シリーズは、いずれも第7戦までもつれ込む大激戦となった。しかし、伊原はここまでの激戦になることは予想もしていなかったという。

「シリーズ前は、正直に言って『今年はヤクルトか、楽勝だな』というぐらいの気持ちでした。もちろん、指導者としてそんなことは口には出さないけれど、内心ではそう思っていました。でも、いきなり杉浦(享)の代打サヨナラ満塁ホームランが出て初戦を落として、『これはいかんな、なめたらいかんぞ。伊達にセ・リーグを制覇してきていないな』という気持ちになったんです」