「ボールが止まって見える絶好調」を、
なぜホームラン王は恐れたのか (2ページ目)
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昔気質の野球人ならではの豪快さに触れた気がして、何だかうれしくもあった。ただ、そこまで言い放てるのも、[無冠]で終わらず、太平洋(現・西武)に移籍した75年に初の本塁打王に輝いたからこそではないか、と思う。やっと獲れた、という感慨もあったのではないか。
「なかったですね。ボクはあんまりこだわってなかったのでね。獲れたときはプロに入って15年もたってましたんで、最後のあがき、みたいなね。エッヘッヘ。そういう形じゃなかったかな、と思いますね」
そこまでタイトルへのこだわりがなかった、とは意外だった。その一方で土井さんは78年、パ・リーグ最多タイの6試合連続本塁打という記録をつくり、73年にも5試合連続を記録。日本記録は王貞治の7試合連続だが、それに次ぐものとして誇りにしているのではないか。
「あの、6試合のときは、7試合目に出なかった後、8試合目にまた打ってるんです。1試合、置いてすぐにね。ただ、あのときは怖かったですね。ものすごく見えるんですよ、ボールが。もう縫い目が見えるぐらい。
なんだ、いつでもヒットできるなあ、いう感じですよ。自分のとこへ、スーッと吸い込まれるように見えるわけです。それでボール球ならやめればいいし、エエとこにきて振れば必ずホームランかヒットになるような感覚になってたんですよね」
ゾーンに入る、という状態だろうか。球種もまったく関係ないとしたらすごすぎる。
「ハイ。球種も関係なかったです。だから自分で、今何打ったんかな、と思うぐらい。どう動こうが、もう止まったように見えるんですよね。フーッと止まったように見える。なんぼ速いボールでも。体の調子もエエし、気持ちも余裕がある。何もかも揃ってたんでしょうね。野球をするためにね」
聞くほどに背筋がゾワッとする。土井さんはやや目を細め、握り拳をボールに見立て、ゆっくりと球筋を描いていた。それだけ心身ともに状態がよかったのだと思うけれど、単に「絶好調」という言葉で片付けたくない気もする。ただ、それでも「怖かった」のはなぜなのか。
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