スーパーカートリオ加藤博一との秘話。八重樫幸雄「2人の時は真面目だった」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

――かつて、ヤクルト・宮本慎也さんが現役だった頃、巨人・坂本勇人選手が自ら「一緒に自主トレをしたい」と松山で練習をしたことがありましたよね。

八重樫 聞かれたら教える。これは先輩としては当然の態度だと思います。でも、それを公にするのは反対だな。公にすることで、せっかく教えてあげた宮本が批判される可能性も出てくるでしょう。そういうのは避けるべきだと思うんです。

【現役時代、ウマが合ったのは「ヒロカズ」】

――いきなり、企画趣旨を全否定されてしまいました(笑)。プライベートでの交流はともかくとして、他球団で仲がよかった選手はいないんですか?

八重樫 「仲がよかった」と言えるかどうかはわからないけど、ヒロカズとはウマが合ったなぁ。

――「ヒロカズ」......。ひょっとして、加藤博一さんのことですか? 西鉄ライオンズ時代にスイッチヒッターに転向して、阪神タイガース、大洋ホエールズと移籍先で活躍。2008(平成20)年に56歳の若さで病気で亡くなられましたね。

八重樫 そう。若くして亡くなったので、とても驚きました。ヒロカズとはよく話をしましたよ。彼とは同い年で、プロ入りも一緒なんです。僕は横浜に住んでいるので、大洋時代のヒロカズとは、遠征に向かう時に新横浜の駅でよく一緒になって、いろいろ話をしたんだよね。一緒に酒を呑みに行くような仲ではなかったけど、移動時、試合前のグラウンドではいろいろ話をしたな。

――そうか、八重樫さんと博一さんは同い年で、プロ入りも1970(昭和45)年で一緒だったんですね。でも、オフにバラエティー番組でも大活躍していた陽気な博一さんと、チャラチャラした人が嫌いで寡黙な八重樫さんが「ウマが合う」というのは意外な感じがします。

八重樫 そうかな? でも、2人で話している時は、全然チャラチャラしたところがない生真面目なヤツだったよ。四六時中ふざけるようなヤツだったら、そんなに仲良くはならなかったと思うんだけど、野球の話、打撃理論になるとすごく真面目。僕も一緒に話していて楽しかったよ。

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