ロッテが起こした応援革命。
王貞治が激怒した桜吹雪の演出秘話 (2ページ目)
やるからにはビジター応援席も作ろうと、外野席をホームとビジターで分け、それぞれの応援団が活動できる台を作ることも提案しました。立ち上がって大きな声を出し、トランペットを吹いたりドラムが鳴ったりするので、『それをよしとする人だけの席にさせてください』と言って、徐々に定着していきましたね。まさか、それが球界全体に広がるとは思いませんでした」
――選手と同じユニフォームを着る応援スタイルも横山さんの発案ですよね?
「それ以前に、サッカーのサポーターがやっていましたけどね。1995年に(ボビー・)バレンタインさんが1回目の監督に就任した時に、ユニフォームがカッコいい白地の縦縞に一新されたこともあって、ファンクラブの特典でレプリカのユニフォームを作ったんです。それまでのファンはバラバラの格好で応援していましたが、多くの人が同じユニフォームを着るようになりました」
――ユニフォームといえば、横山さんはロッテオリオンズ内野応援団時代に、選手と同じユニフォームを着ていましたよね?
「(当時着用していたユニフォームを手に取り)背中にタグがあるんですが、これは1981年に背番号89の選手が着ていたユニフォームという意味です。よく見ると、背番号や名前のワッペンを剥がした跡があります。つまり選手の"おさがり"で、わざわざ応援団にくれていたんです。最高にあり難いですし、応援にも力が入りますよね。だから、選手と同じユニフォームを(応援団だけでなく)みんなで着ればいいじゃん!となったんです」
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