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今宮健太「あの時、ゾーンに入っていた」。一生に一度と語った伝説の投球

  • sportiva●文 text by sportiva
  • 松田崇範●写真 photo by Matsuda Takanori

マンガ『BUNGO-ブンゴー』の作者が
プロ野球春季キャンプを取材!
~ソフトバンク・今宮健太編~

前回(ソフトバンク・髙橋純平編)はこちら>>

『ヤングジャンプ』で好評連載中の野球マンガ『BUNGO-ブンゴ-』。その最新22巻の発売を記念して、作者の二宮裕次先生がプロ野球チームの春季キャンプを訪問し、選手たちに取材。今回は、ソフトバンクの今宮健太に話を聞いた。

今シーズの活躍も期待される今宮健太今シーズの活躍も期待される今宮健太 今宮と言えば、高校野球ファンにとっては忘れられないシーンがある。

 2009年、夏の甲子園準々決勝――。当時3年の今宮を擁する明豊高校(大分)は、菊池雄星(シアトル・マリナーズ)を擁する花巻東(岩手)に6-4と2点リードで最終回を迎えた。しかし、9回表に花巻東が最後の執念を見せ、同点に追いつかれてしまう。マウンドに立ち尽くす山野恭介(当時2年/元広島)に代わり、1死3塁の状況でサードから再びマウンドに戻ったのが今宮だ。そのピンチから気迫のこもった投球で2者連続三振。自己最速の154キロもマークした伝説の10球、あの名場面を振り返る。

二宮 あの出来事は、いまだに強く覚えているのでしょうか。
 
今宮 覚えてますね。自分の野球人生で一番はじけたシーンだったので、忘れないと思います。あの何分間は、ゾーンに入っていました。状況や自分の気持ち、体の調子などすべてがマッチングした不思議な時間でしたね。

二宮 10球投げたうち、2球が自己最速となる154キロのボールでしたね。
 
今宮 普段は150キロ近くまでしか出なかったんですけど、一気にガーンと154キロが出ました。しかも、がむしゃらに、思いっきり投げてもストライクゾーンに球が行きました。こんなこと普通だったらありえないんですけど。

二宮 ゾーンに入ったとおっしゃっていましたが、その要因は何だったと思いますか。

今宮 気持ちですね。僕の前に投げていた山野は、幼稚園くらいからずっと一緒に野球をやってきた人間だったんですよ。そいつがどれだけ頑張ってきたのか、自分はよく知っていました。その試合も(5回から)一生懸命投げてきて、それでも最終回に同点に追いつかれてしまった。山野が泣いたんですよ、マウンドで。スイッチが入りましたね。ここだけは絶対に抑えようと思いました。

二宮 普段では味わえないような経験だった思いますが、その時に感じた感覚のようなものは覚えていますか。

今宮 全てが聞こえる感覚でした。自分は目の前の打者に集中していて、普段以上に集中できているのに周りの音がよく耳に入りました。僕が1球投げる度に甲子園がドカンと沸く。その歓声が上がれば上がるほど、こっちもどんどんテンションが上がっていきましたね。あれで僕の野球(人生)が終わってもよかったと言っても過言ではないくらい、一生に一度のベストパフォーマンスでした。

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