2019.11.02

わずか3年で戦力外となった、
元DeNA山本武白志が追うビッグマネー

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

 九州国際大学付属高校の主砲として甲子園に2度出場。3年夏に2打席連続ホームランを放った山本武白志(むさし)のことをどれだけの人が記憶に留めているだろうか。オールドファンには、1970年代から1980年代にかけて読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)でプレーした「山本功児の息子」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 2015年ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから育成2位指名を受けた山本は2018年限りで戦力外になり、プロ野球から姿を消した。高校通算34ホームランを放ったスラッガーのいま――。

* * *

 父親はプロ野球の読売ジャイアンツなどで活躍した好打者にしてロッテの元監督、息子の山本武百志も高校時代に2度甲子園に出場した野球エリート。188センチの恵まれた体格を誇り、将来、「ハマの主砲」になることを期待された。

2015年のドラフトでDeNAから育成2位指名を受けた山本 1998年2月生まれの山本は父の現役時代を知らない。覚えているのは、監督を務めた千葉ロッテマリーンズ時代と、その後コーチを務めたジャイアンツでのユニフォーム姿だった。

「高校に入るときには『プロ野球選手になる』という思いが強くなっていました。そのうち、父の病状が悪くなっていったので、高校を出たらすぐにプロになろうと」

 長距離砲として評価の高かった山本だったが、ベイスターズからは育成選手として指名された。

「本指名ではありませんでしたが、社会人や大学に行ってからプロを目指そうとは考えませんでした。1日でも早く、父にユニフォーム姿を見せたかったので。僕にはまわり道をする時間がなかった。だから、ベイスターズでお世話になることに決めました。そのころ、父はまだ普通に会話ができたので、自分の考えを伝えて、賛成してもらいました。父も母も、ずっと僕の考えを尊重してくれていましたから」

 父は、2008年から体を壊し入退院を繰り返しながら療養を続け、山本がベイスターズのユニフォームを着た2016年4月、肝臓がんのため、帰らぬ人となった。