ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。「こんなチームに負けたのか?」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【移籍後に感じた「ヤクルトの強さ」とは?】

――これはみなさんに聞いているのですが、この2年間でライオンズとスワローズは全14試合を戦って7勝7敗。ともに日本一になりました。果たして、両チームの決着はついたのでしょうか?

 うーん、本当に紙一重の差でしたからね。ヤクルトは本当に強かったですよ。足の速いヤツもいるし、ホームランバッターもいたし、しぶといバッターもいたからね。あの頃のヤクルトはとにかくバランスのいいチームだった。それは間違いないですね。

映像を見ながら当時を振り返る辻氏 photo by Hasegawa Shoichi映像を見ながら当時を振り返る辻氏 photo by Hasegawa Shoichi――これはその後の話となりますが、辻さんは1996年にスワローズに移籍。翌1997年はスワローズの一員として、パ・リーグ覇者のライオンズと日本シリーズを戦っています。1992年、1993年の時と、何か違いはありましたか?

 その時、僕はレギュラーではなかったので状況は違うし、西武のメンバーもガラッと変わっていたので、1992年、1993年とはやっぱり別ですよね。ただ、僕は西武を自由契約になったところを野村監督に拾ってもらったわけだから、「絶対に西武には負けたくない」という気持ちが強かったです。

――移籍してスワローズの一員となって、スワローズに対する印象の変化などはありましたか?

 率直に言って、「えっ、ヤクルトってこんなチームだったの?」と思ったことは、よく覚えています。言い方は悪いけど、「オレたちは、こんなチームに負けたのか?」って思いでしたね(笑)。

――「こんなチーム」というのを、具体的に教えていただけますか?

 当時、古田(敦也)とか、池山(隆寛)とか、飯田(哲也)、土橋(勝征)、伊藤(智仁)とか、いい選手がたくさんいたけど、クラブハウス内やロッカーの雰囲気を見ていたら、「こいつら、学生か?」って感じなんです。いろんなところから音楽は流れてくるし、試合前なのにみんなでサッカーのテレビゲームをやっているし(笑)。西武時代には考えられない雰囲気でしたから。

――試合前の過ごし方が、ライオンズとスワローズはまったく違ったんですね。

 はい、まったく違いました。でも、一度グラウンドに出ると、みんながひとつになって戦っている。それを見て、「今の選手たちはこういうものなんだな」と気づくと同時に、「これがヤクルトの強さなんだな」ということを強く感じました。

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