門田博光が本塁打増に持論。「打撃を球場サイズに合わせたらあかん」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

「阪急と近鉄はミズノのボールで、オレがプレーしていた南海が使っていたクボタのボールよりよく飛んだ。それに当時のパ・リーグの球場で言うと、まず西宮球場(阪急の本拠地)や。気持ちのいいカラッとした風が吹いて、それに乗せたら逆(レフト)方向でもよう飛んだ。だから、あそこの球場に行ったら、精神的にむちゃくちゃ楽。普通はセンターから右中間へ持っていかなあかんと考えているのに、あの球場だけはどこでも入ると思えたから。気分が全然違ったし、それはバッターにとってものすごく大きいんや」

 そして門田は「所沢球場(現・メットライフドーム)も得意やった」と言って、こう続けた。

「あの頃ではサイズの大きい球場やったけど、フェンスが低かった。オレはライナーで低く、遠くへ飛ばす打球を求めていたから、フェンスが低いのはよかった。それと、その頃に聞いた話によると、風の通り道があって、湿度も時期によっては北海道ぐらいやと。そういうのもあって、ほんまによう飛んだ。西宮でも所沢でも場外へ打ったことがあるけど、どっちも気持ちよく打てる球場やった」

 どの時代にも打者心理を優位にする球場がある。一時はセ・リーグの球場がパ・リーグに比べて狭いとされてきたが、今は大きな差がない印象だ。ホームランが出やすい傾向は打者にとっては喜ばしいことだと思うのだが、門田は別の見方を口にした。

「球場が小さくなると、徐々にそのサイズに合わせたバッティングになっていく怖さがある。(球場が)小さくなった年は精神的にも楽になって、ええ数字が出ると思うけど、問題はそのあとや。人間はすぐ環境に慣れてしまいよるから、『これくらいでも入るんや』というバッティングになってしまうと、力自体が落ちていく可能性がある。だから小さくなって2年目以降にどういうバッティングになっていくか、ということや」

 打者・門田ならどう考えるのか。

「現役の頃は、とにかくどの球場に行っても場外へ打ち込んだろうと思ってやっていた。誰よりも遠く、それも低い弾道で飛ばす。見ている相手チームのファンから『すごいな!』という声を聞きたいと思っていたんや。ホームランでも完璧な打球を常に求めていたから、40歳で44本塁打(1988年)とかもあったんやろう」

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