笘篠誠治がセンターから見た工藤公康の凄さ「あれじゃ相手は打てない」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

工藤公康、郭泰源、渡辺久信のすごさ

現在は楽天の一軍外野守備走塁コーチを務める笘篠氏 photo by Hasegawa Shoichi現在は楽天の一軍外野守備走塁コーチを務める笘篠氏 photo by Hasegawa Shoichi――当時のチームメイトについてはどんな印象をお持ちでしたか?

笘篠 当時のうちの強さを支えていたのは、やっぱり投手陣です。センターの守備についたときにピッチャーのボールの軌道を見るのはすごく楽しかったですよ。工藤(公康)さんのカーブなんて、すごい曲がりをしますから。「あれじゃあ、相手チームは打てないよな」って、いつも思っていました。あんなカーブは見たことがなかったです。

――郭泰源投手や、渡辺久信投手はいかがでしたか?

笘篠 泰源は、どの球種でも「これは打てない」というボールを投げていました。スライダーだけじゃなくて、全球種が一流でしたね。ストレートも速かったので、「一度、150キロを投げてみてよ」と頼んだことがあったんですが、本人は「150キロを投げなくても抑えられるから、無駄な力は使いたくないんだ」って言っていました。(渡辺)久信の場合は"荒れ球"が武器になっていたんじゃないかと。確かに最多勝も獲っているけど、「投げてみないとわからない」のがよかったんだと思います。

―― 一方のスワローズ投手陣に対する印象はいかがですか?

笘篠 1992年の岡林(洋一)はすごいと思いましたね。事前のミーティングでビデオを見たときは、「これはちょっと手こずりそうだな」と思いました。と同時に、「自分は打席に立たせてはもらえないだろう」とも考えていましたが(笑)。実際にシリーズが始まってからも、うちの選手たちが「やっぱり、いい球を投げるな」と口を揃えていましたね。

――結果的に1992年は第7戦までもつれて、4勝3敗と薄氷の勝利でした。それでもやっぱり、「西武が強い」という信念は揺らぎませんでしたか?

笘篠 まったく揺らがなかったですね。1993年はヤクルトに3勝1敗とリードされたけど、そのときでさえ「絶対に3勝3敗に追いつくだろう」と思っていました。そして、実際に3勝3敗になったときに、「当然、第7戦はオレたちが勝って日本一になるだろう」って。結局、ヤクルトに負けて日本一は逃したけど、「日本シリーズで西武に勝つヤクルトもすごいな」と思ったことを覚えています。それぐらい強かったんですよ、うちは。

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