阪神2位指名もブレずに拒否。日本の四番に野球一筋の選択はなかった (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

タイガースの2位指名を蹴って会社に残った

 人事部の仕事をこなしながら、社会人野球の選手としてプレーしていた鍛治舎は、2年目の秋にまたプロ野球から誘いを受ける。阪神タイガースからの2位指名だった。

「ドラフト会議の日は、いつも通りに仕事をしていました。スポーツ紙の記者に『タイガースに2位指名されました』と言われて、『あっ、今日がドラフトだったんだ』と気づいたぐらい他人事でした。それまで、スカウトの接触もありませんでしたから」

 タイガースの監督は吉田義男。鍛治舎は「名門復活の切り札」として期待されていた。

「記者に『行きませんよ』と答えたら、『鍛治舎、入団拒否』と書かれました。職場は大阪ですから、会社の中には工場を中心にタイガースファンが多い。すぐに、『俺のタイガースをなめとるんか』『話も聞かずに断るとはどういうことや』という声が聞こえてきました。私が『会社に残る』と言っているのに、みんなは『行け』と(笑)」

 数度の交渉はあったものの、鍛治舎は指名を拒否して会社に残った。

「プロには行かないと決めていたので。吉田監督ともお話ししたら、『野球をやめたら会社にお返ししますんで』と言われました。今でいう、レンタル移籍みたいな考え方だったんでしょうね。吉田さんは尊敬できる方で、いまだにお付き合いをさせていただいています」

野球バカでは生きていけない

 鍛治舍は社会人野球で7年間プレーした。1981年5月に電子部品の人事課に配属され、引退後は普通のサラリーマンとして勤務していた。

 強豪の松下電器の野球部監督に就任したのは1986年のことだ。1988年ソウルオリンピックで日本の銀メダル獲得に貢献する潮崎哲也などを育て上げ、プロ野球に送り込んだ。1991年に40歳で監督を退任し、再び社業に戻った。

「ピシッと線を引きました。野球中継は一切見ず、球場にも足を運ばない。3年間、仕事漬けでやりました」

 そんなときに、少年野球の指導をしてほしいという話がきた。

「あれは、騙されたようなものですよ(笑)。『月に1回くらい見にきてくれればいいから』と言われ、チームの練習をのぞきにいったら『この人が次の監督だから』と紹介されて......。結局、月8回の休日すべてが指導の時間になりました。でも、子どもたちを教えるのは面白かったですね」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る