阪神2位指名もブレずに拒否。日本の四番に野球一筋の選択はなかった (3ページ目)
オール枚方ボーイズを率いて、ボーイズリーグ日本一8回、ジャイアンツカップ優勝4回という成績を残した。この夏、甲子園大会後に結成されたU-18日本代表の主力メンバーの多くは鍛治舎の指導を受けている。
「大阪桐蔭(大阪)の中川卓也や藤原恭大、報徳学園(兵庫)の小園海斗もOB。彼らが最後の教え子ですね。子どもたちから学ぶことは多かった。松下電器は大きな会社で、私は本社勤務がほとんどだった。エリートたちと仕事をすることが多かったんです。みんな優秀で、上昇志向もあって、という人たち。でも、子どもたちは違いますよね。はじめは3学年16人のチームでスタートしました」
2002年に鍛治舎が監督に就任して、初めて日本一になって以降、急速に力をつけていった。2014年に秀岳館の監督になるために退任するころには、全国優勝が当たり前という最強のチームが完成していた。
「年3回大きな大会があって、36回チャンスがあったなかで12回優勝することができました。強くなってからは子どもたちも保護者も変わっていって、鉄壁の組織ができあがった。そのころに入ってくるのは、日本一を目標にする子ばかり。勝ちにつながるプロセスをいかに導き出すかという教え方をしていました」
もちろん野球の技術も教えたが、それ以外にも大切なことがあると伝えていた。子どもたちにはいつもこう言っていた。
「野球のフェアグラウンドは90度。この中できみたちは100%努力していて、満点をやれる。でも、人間っていうのはそれだけじゃない。360度すべてに心配りができないと、野球に集中できないし、日本一にはなれないんだと。その90度の3倍分の270度に何があるか。学校、家庭、地域。この3つの理解と支援を得られなかったら、日本一にはなれない。
地域の人に挨拶をする、学校でもきちんとした生活をする。保護者にも協力してもらわないといけない。すべてが相まって、日本一があるんだ。グラウンドの90度は全体の4分の1でしかないと常に言っていました」
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