松坂大輔を見て思い出す、プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング (4ページ目)
7位 川崎憲次郎(元ヤクルト、中日)
【ケガの内容:右ヒジ痛】
【復帰後の主な成績:6年103登板、39勝37敗】
【獲得タイトル:1998年・沢村賞】
手術後にシュートを覚えスタイルチェンジ
1993年にヤクルトが日本一になった際、プロ4年目の川崎憲次郎は日本シリーズMVPを受賞した。前年のケガからの復帰でカムバック賞も受賞したが、その後は右ヒジの故障で何度も戦線を離脱することになる。
もともとは速球主体の本格派だった川崎は、1995年に手術を経験し、1997年には後の代名詞となるシュートを覚える。新たなスタイルで1998年に17勝を挙げ、リーグ最多勝と沢村賞を獲得した。
2000年にフリーエージェント宣言をした際にはレッドソックスも獲得に興味を示していたが、最終的に中日への移籍を決意。「巨人キラー」として期待されるも、発症した右肩痛が治らず、1勝もできぬまま引退した。
ちなみに、ヤクルトの投手陣は1980年代から現在に至るまで、エース級の投手の故障離脱が多い。近年では主力野手のケガも多く、「ヤ戦病院」などと揶揄されることもある。
前出の石井ほか、このランキングに登場しない投手のなかにも、高野光、西村龍次、岡林洋一、内藤尚行など、肩ヒジのケガで戦線を長期離脱したエースは数知れない。続いて6位に登場するのは、そんなヤクルト投手陣の中でも最もケガに苦しんだ投手だ。
4 / 5