松坂大輔を見て思い出す、プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング
松坂大輔にようやく復活の兆しが見えはじめた。
メジャーリーグを経て、2014年12月に3年総額12億円プラス出来高払いでソフトバンクと契約。華々しく凱旋帰国したが、右肩痛に苦しみ3年間まともなピッチングを披露することなく2017年オフに戦力外となった。
それでも現役にこだわって中日にテスト入団を果たすと、4月5日の巨人戦で550日ぶりに一軍マウンドに上がり、5回3失点の粘投。4月19日の阪神戦では、勝ち投手にはなれなかったものの7回2失点と好投した。
中日で復活の兆しを見せる松坂大輔 思い返せば、日本のプロ野球には松坂のように大きなケガや手術による困難を克服し、第一線のマウンドに戻ってきた名投手が何人も存在した。その中から、記録や成績よりも「記憶に残る復活投手」を独自にランキング。前編はその10位から6位までを紹介していこう。
10位 中里篤史(元中日、巨人)
【ケガの内容:右肩脱臼】
【復帰後の主な成績:5年32登板、2勝1敗】
グラウンド外のケガに泣いた逸材
プロで本格的に活躍する前にケガを負い、長らくファンから期待をかけられたうえでマウンドに戻ってきた投手として、中里篤史の名前は外せない。
細身からムチのように腕をしならせて投じる快速球を武器に、春日部共栄高校時代には埼玉県大会で5イニングすべてのアウトを三振でとっての完全試合を達成(5回コールド勝ちのため、参考記録)。2000年のドラフト会議で中日から1位指名を受けて入団し、将来のエース候補として期待された。
ルーキーイヤーは2軍で7勝1敗と好投し、一軍デビュー戦では最速151キロをマークするなど存在感を見せたが、2年目のキャンプで転倒事故により右肩を脱臼する。リハビリをこなしていた翌年のオフにも同じ箇所を再脱臼し、選手生命が危ぶまれた。
それでも、2004年に手術を行ない、翌シーズンの終盤に一軍復帰を果たす。その試合でリリーフ登板した中里はプロ入り初勝利を挙げ、翌年には152キロを記録するまでに復調。日本ハムとの日本シリーズでは新庄剛志の現役最終打席で登板し、三振に打ち取っている。
さらなる飛躍が期待されたが、その後もケガなどの不運に見舞われ、才能は完全に開花することなく引退。ファンの大きな夢を背負ったまま"未完の大器"はマウンドを去った。
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