「ポスト古田」として契約金7500万円
もらった高卒捕手が見たもの (3ページ目)
──ブルペンでキャッチャーが捕球する時の音が悪いと、ムッとする人はいましたか?
米野 たまにいましたね......いや、よくいます(笑)。ピッチャーは自分のボールが最高だと思いたい人たちなので。いいボールがきているのにボソッと捕っちゃうことがあって、そんな時には本当に申し訳ないと思います。
──ピッチャーからすれば「オレのボールが悪いのか、おまえがヘタなのかどっちだ?」ということでしょうね。
米野 「いいボールすぎてキャッチングが悪かった」と謝ります。先輩だったら、2、3回重ねて「すみません」と言いますね。一軍で活躍されているピッチャーのボールを受ける時には緊張しました。
──一軍で初めて試合に出た2001年。家族や友達に「プロ野球選手になったぞ」と胸を張って言えるようになったのはいつごろですか?
米野 プロ3年目の2002年に古田さんが故障した時にチャンスをもらって、初ホームランやサヨナラヒットを打ったりしました。自分の中では「やっとプロ野球選手になれたかな」という思いはありました。でも、2005年までは一軍と二軍を行ったり来たりで。
──チームでは3番手か4番手のキャッチャーだったということですね。
米野 そうです。2006年に116試合出たシーズンが僕にとって最大のチャンスでした。
──2005年秋に古田さんが選手兼任監督に就任しました。これまでと同じようにマスクをかぶるわけにはいかないから、米野さんをレギュラー捕手にという流れでした。
米野 監督が代わったことで当然、チームも変わります。自分にチャンスが来るという予感はありました。
──2005年オフには年俸が900万円から1400万円に上がりました。これにはレギュラーとしての期待料が含まれていたんでしょうね。
米野 おそらくそうです。球団の人からも「来年がチャンスだぞ」と言われたように思います。いつもの年以上に気持ちを入れました。
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