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通訳になるのが夢だった日本ハム右腕。
戦力外→国際担当で憧れの世界へ (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 榎下自身、「燃え尽きた感もあった」という野球をあきらめ、英語を生かす道を真剣に考えたが、周囲の説得もあり、「大学まで野球を続ける」ということで決着した。

 言葉とは裏腹に、九州産業大へ進学するとストレートの球速は10キロ近く上がり、4年時には堂々のドラフト候補となった。そしてドラフト直前、榎下は力強くこう語っていた。

「1年目から一軍とか新人王ということより、10年投げられるピッチャーになりたい。そのためにまず土台をつくらないといけない。10年間活躍できる力がつけば、メジャーにも挑戦したい。世界一の野球がどういうレベルなのか、知りたいんです」

 しかし現実は厳しく、一軍の戦力として働き続けることはできず、榎下のプロ野球人生は通算2勝、7年で幕を閉じた。ただ、冒頭の記事に触れたとき、寂しさとともに浮かんできたのが彼のこれからへの期待だった。

「僕は野球も勉強も、いずれは留学もしたいです」

 7年前の秋、そう熱く語っていた榎下の第2幕が始まる。

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