1億円プレーヤーが2年で月給20万円に。GG佐藤のプロ野球マネー学 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──佐藤さんの場合は、32歳の2010年シーズンに推定年俸が1億500万円になりましたが、翌年は6300万円にダウンしてしまいます。

佐藤 まさに"満額ダウン"ですね。もう一回ごねてやろうかとも思いましたが、世間の目もあるから、成績が悪いときにはおとなしくしておこうと思い直しました。ハッスルするとまた叩かれちゃうんで、こういうときは素直に一発サインだと思って。

──「やっと1億円プレーヤーになったぞ」と思った2年後には戦力外通告を受けて、翌年から年俸0円。厳しい世界ですね。

佐藤 私の場合、気持ちが切れちゃった部分があるんですよね。当時の土井正博ヘッドコーチには「3年間、成績を残してやっと一人前だ」と言われて、頑張って1億円に到達してから目標を失ったような感覚になりました。

──2007年は136試合に出て25本塁打、打率.280。2008年は21本塁打、打率.302、2009年は25本塁打で打率.291でした。押しも押されもせぬレギュラーですね。でも、2010年は53試合、6本塁打、打率.204と成績を落とし、翌2011年のオフには戦力外になってしまいました。いったい、何が起こったのでしょうか。

佐藤 理由がわかったらよかったんですけど......急に打てなくなりました。ケガもしたし。球団を経営する側からすれば、選手は商品です。商品価値がなくなれば、バッサリ切られるのは仕方がない。プロ野球の世界はそういうもんだと思っていました。だからこそ、いつ切られてもいいようにプレーしていましたし、球団に媚びるつもりもありませんでした。自分が切られたときも、「そういうもんだな」と素直に受け入れました。

──野村克也さんは、教え子たちに「引退するまでに20億円は貯めとけよ」と言っていたそうですね。

佐藤 40歳くらいから死ぬまで仕事しないとするならば、そうでしょうね。

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