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巨人ドラ1からの遠回り。日ハム村田透が
10年目の初勝利に至るまで (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Kyodo News

 しかし、この時点で30歳。毎年のように有望株が世界から集まってくるメジャーにあって、インディアンスが彼を常時必要な戦力と考えることはなかった。最多勝を獲りながらも翌シーズンはメジャーキャンプにも招待されず、3Aでもブルペンに回された。2016年は9勝4敗1セーブに終わり、再びベネズエラに渡っていた村田は日本ハムのオファーを受けることにした。

「マイナーの選手はたしかにパワーはありますが、コントロールさえ間違わなかったら抑えることができます。でもメジャーは、そこに技術も備わっています。だから、球の力がないとダメでした」

 村田はアメリカでの経験をこう語ってくれたことがある。この経験を生かすべく日本球界に戻ってきたが、ある意味、マイナーとは逆の、パワーは劣るが技術に勝る日本のバッターに苦しんだ。

 日本球界復帰後の初マウンドとなった4月2日の西武戦は、1回2/3を無失点に切り抜けたが、満を持して先発マウンドに上がった4月13日のソフトバンク戦は、4回1失点ながら交代を命じられ、チームは勝利したものの勝ち星はつかなかった。

 再びソフトバンクとの対戦となった4月26日は、4回4失点で敗戦投手となってしまう。村田がこだわる6回を自責点3以内に抑えるクオリティー・スタートをなかなか実現できなかった。それでも6月11日の試合を迎えるまでの防御率は3.10と、先発投手としては十分に合格点を与えられるものだった。

 5度目の先発となった巨人戦。村田は古巣相手に臆することなくマウンドで躍動した。ストレートの最速は145キロだったが、アメリカ仕込みの"動くストレート"に巨人打線は戸惑った。また、ベネズエラで習得したツーシームが、この日は面白いように決まった。5回を投げ6本のヒットを許したが、与えた得点は1点だけだった。

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