石井弘寿、悲運のWBCマウンドも「自分の決断なので後悔はない」 (6ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──立ち止まっているときに、何を考えるか、どういう毎日を送るか。リハビリ期間の過ごし方次第で、その後の野球人生が大きく変わります。

「そうですね。自分が元気なときには、みんなに助けられていることをあまり感じません。でも、特にリハビリは、周囲の人の支えがなければできません。感謝の気持ちを忘れないでほしい。プロ野球選手としてではなく、ひとりの人間として育ってほしい。

 プロ野球選手はみんな、能力があって入団するわけですが、強いときだけ、調子のいいときだけ活躍するのでは困ります。大切なのは、うまくいかないとき、どん底にいるときにどれだけ頑張れるかだと思います。苦しいときにいかに自分をコントロールするかが問われます」

──どんなにいい選手でも、1年を通して好調をキープすることは難しい。不調に陥ることもケガで苦しむこともあります。

「リリーフピッチャーの場合、年間を通して調子がいいのは10試合か15試合くらい。それ以外は体のどこかに張りがあったり、調子を落としていたりします。それでも、しっかりとしたパフォーマンスをしなければならない。僕は今年から一軍のピッチングコーチになったので、育成よりも結果を求められます。芯の強い選手を育てたいと思っているので、ときには厳しいことも耳の痛いことも言います。しんどい練習も徹底的にやらせるつもりです」

自らの体験をコーチとしての指導に生かす(photo by Motonaga Tomohiro)自らの体験をコーチとしての指導に生かす(photo by Motonaga Tomohiro)

石井弘寿(いしい ひろとし)

1977年、千葉県生まれ。1995年ドラフト4位で東京学館高からヤクルトスワローズに入団。先発、リリーフとして活躍し、日本一にも貢献した。2002年、リーグ最多登板で最優秀中継ぎ投手に輝く。2004年、アテネ五輪に出場、銅メダルを獲得。2005年には抑えとして自己最多の37セーブを挙げ、球界屈指の左腕に成長した。2006年オフに左肩の手術をした後は、リハビリの日々を送る。2011年9月、引退表明。2012年にスワローズの二軍育成コーチに就任。2017年から一軍投手コーチを務めている。

■石井弘寿インタビュー前編はこちら>>

■シリーズ「もう一度投げたかった」──斉藤和巳>>

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