WBCの悲劇。そのとき、
豪腕サウスポー石井弘寿に何が起きたのか

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

シリーズ「もう一度投げたかった」──石井弘寿(前編)

 2006年、初めて開催されたWBCの日本代表メンバーに28歳の石井弘寿がいた。プロ7年目の2002年に最優秀中継ぎ投手に選ばれ、2005年には4勝37セーブを挙げたサウスポー。しかし、WBC第1次ラウンドの韓国戦に救援登板し李承燁(イ・スンヨプ)にホームランを打たれて降板。この試合で肩を痛めて......二度と155キロのストレートは投げられなかった。悲運のWBC元日本代表に肩の手術、完全復活を目指した日々について聞く。

2006年WBC韓国戦で李承燁に被弾。このとき異変が起きていた2006年WBC韓国戦で李承燁に被弾。このとき異変が起きていた

2006年のWBC前、肩にも、ひじにも不安はなかった

──石井弘寿さんは1995年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団しました。当時、捕手に古田敦也さん、投手陣には吉井理人さん、石井一久さん、高津臣吾さんなど、そうそうたるメンバーが揃い、監督は名将・野村克也さんでした。

「僕は1年目の夏ごろに一軍に上げてもらいましたけど、そのときは何もわからず、力一杯に投げるだけ。何回チャンスをもらっても、ストライクが入らず、フォアボール、フォアボールで自滅して、一軍に定着できませんでした。少し落ち着いて投げられるようになったのは1999年、2000年くらいからではないでしょうか」

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