7年前、メジャースカウトが受けた「高校1年・大谷翔平」の衝撃 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 プロ野球選手を目指す高校生の誰もが、自らの力に不安を抱く時期がある。大谷もそうだった。高校に入学した時点でのマックスが143キロだった大谷は、すぐに160キロという目標を立てた。ところがケガに泣かされ、投げることもできない状態が続く。そんな大谷をずっと見守っていたのが、小島だった。プロ野球選手になれないかもしれないという些細な不安が胸をよぎったとき、大谷を励ましてくれたのは、『小島さんが見に来てくれている、自分は小島さんに評価してもらっている』という目の前の事実だったのだ。そして最後の夏、大谷は岩手県大会で、ついに目標としていた160キロを叩き出し、日本中の注目を集める存在となった。大谷がこう言っていたことがある。

「日本のスカウトの方はいいときにはマメに来て下さるんですけど、悪いときとか負けているとき、ケガをしたときにもずっと来て下さったのは小島さんだけでした。それはすごくありがたかったし、励まされました。自分のいいところも悪いところも含めて、全部を一番理解して下さって、それで評価してもらえていた方だったので、そういう人がいるところ(ドジャース)でやりたいなと思ってました」

 だから大谷はドラフト直前、いったんは報道陣の前で「アメリカでプレーさせていただくことを決めました」と公言したのだ。高校を出てすぐドジャースと契約していれば、ピッチャーとして育成されることになっていた。当然、マイナーリーグからのスタートとなる。となれば、ハンバーガーばかりの食生活で、過酷なバス移動が続き、言葉や文化の壁もある......といったネガティブなイメージばかりがクローズアップされてきた。しかし、そうばかりではないと小島は言う。

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