「剛」の岡田明丈と「柔」の横山弘樹。2人が埋めるマエケンの穴 (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

 横山が桐蔭横浜大の3年のとき、肩慣らしをしているその投球フォームを見て驚いた。高校時代はアーム式のフォームだったのが直っている。宮崎日大高のときは、145キロ前後のスピードが出ていたが、テイクバックで腕を思い切り後方に引っ張る"恐ろしいフォーム"で投げていた。だが、大学に入って動きが小さくなった分、腕を上げる時間が取れて、トップで右手が頭の後ろにいく。そこでボールが隠れるから、リリースが見づらい。すべてが好循環になっていた。

「そうですか。変わっていましたか!」

 桐蔭横浜大の齋藤博久監督がうれしそうだった。

「アイツ、ストレートなんてほとんど投げませんから。カットボールとかチェンジアップとか、全部動かしてくるんですよ」

 投手の育成に定評のある桐蔭横浜大。法政大と拓殖銀行で活躍した萩原康ピッチングコーチの熱心な指導もあって、高校までまったく無名の投手を社会人の即戦力に仕立て上げたことも一度や二度ではない。

 横山も地道なトレーニングを重ね、4年生の春に頭角を現した。リリーフで投げて防御率1.56。さらに秋、今度はエース格となって4勝を挙げ、防御率0.92。春秋リーグ連覇の原動力となりMVPを獲得。その活躍が認められ、社会人の名門・NTT東日本に進んだのだ。

 キャンプでのブルペン。すぐ後ろでカープOBの方が「あと5キロあればなぁ......」とつぶやいた。体重ではなく、スピードだ。この日はほとんどが130キロ後半。

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