現役引退の谷佳知が語った「残り72本よりも大切なもの」 (5ページ目)
「自分の納得する打撃ができない。このまま一軍にいたらチームに迷惑がかかる」と、昇格まもない6月13日の阪神戦のあと、福良淳一監督代行(現監督)に自ら登録抹消を申し出た。記録達成にこだわるのなら、自ら申し出る必要はなかった。しかし、チームの勝利への思いと自分の打撃ができないプライドが、それを許さなかったのだ。
この後、再び一軍昇格を果たしたが、8月下旬に引退を決意。亮子夫人に電話で伝えた。
「もちろん、2000本安打は達成したかった。(引退の)決め手になったのは一軍での試合数。大歓声の中で野球をやるのが、なにより気持ちよかった。でも、自分の実力がなくなって……。2年続けてそういう状況だったからね。仮に、あと5年やらせてもらうことができたとしても、体力がついていかないし、チームにも悪い」
華やかな引退試合を終えた後、谷は福岡県内の仰木氏の墓を訪れ、その日のうちに広島にある同い年で10年にくも膜下出血で急逝した木村拓也さんの墓前にも手を合わせてきた。ともに巨人でプレーし、普段から仲が良かった。いつか一緒に同じユニフォームを着てコーチをすることも夢見ていた。
「タク(木村拓也)が引退するとき、相談された。僕個人としては長くやってほしかったけど、最後は自分自身が決めること。タクからは『長くやってくれよ』と言われたのをよく覚えている。言われた通りできたと思うよ」
現役に未練がないといえば嘘になる。だが、多くの人に支えられ、心晴れやかにユニフォームを脱ぐことができた。
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