武田翔太「やる気のないフォーム」が生んだ150キロと魔球 (5ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 にわかには言葉の意味を理解できずにいると、武田は続けて解説してくれた。

「もともとタテのスライダーを投げていたんですけど、投げ方が変わり始めて球持ちが良くなると、曲がりがおかしくなったんです。それを曲げようとしているうちにカーブになって。でも、球は速いから、これでいいかな~と思って」

 つまり、タテのスライダーの握りで投げているうちに、変化量が大きくなり、いつしか「ドロップカーブ」になっていたという。あれだけ大きな変化のあるボールをコントロールするのは、至難の業に見える。

「めっちゃ難しいですよ。それも感覚をつかむしかないです」

 現在は「絶対にボールにする」「ストライクを入れる」「ボールからストライクに入れる」の3パターンでカーブを操れるようになったという。

 脱力によって進化したスピードボールと、ドロップカーブという魔球を得た武田は、いつしか「九州ナンバーワン右腕」と呼ばれる存在になった。そして2011年のドラフト会議でソフトバンクからドラフト1位指名を受けてプロ入り。早くも1年目の7月に一軍昇格すると、11試合に先発登板して8勝1敗、防御率1.07という驚異的な成績を残し、パ・リーグ連盟から優秀新人賞の特別表彰を受けた。

「当時と今では、見え方が違います」

 武田はそう言って、プロ1年目を振り返った。

「当時は自分のなかで『この場合はこうする』という配球のセオリーで固めていて、それに当てはめて投げていました。細川(亨)さんのリードのおかげで抑えられていましたけど、1年目から細川さんのサインにも首を振っていました。でも今は、バッターひとりひとりのスイングを見て、どう抑えようか考えるようになりました。1年目とは余裕が違います」

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