武田翔太「やる気のないフォーム」が生んだ150キロと魔球

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

ソフトバンク武田翔太インタビュー(前編)

「人はここまで変わることができるのか......」

 プロ入り後の武田翔太(ソフトバンク)のピッチングを見るたびに、そう思わされる。

日本シリーズでも第1戦の先発を任された武田翔太日本シリーズでも第1戦の先発を任された武田翔太

 プロ4年目の今季、武田は自己最高となる13勝を挙げ、日本一連覇に大きく貢献した。さらにプレミア12では侍ジャパンに選出され、2試合に先発して7イニングを無失点。まさに飛躍の1年を過ごした。しかし......。

 あの大谷翔平(日本ハム)は、初めて見た高校1年秋の時点から「怪物」だった。だが、武田の高校1年秋当時のピッチングを見て、とても今の姿は重ならなかった。

 今から6年前。2009年10月24日、サンマリンスタジアム宮崎で行なわれた秋季九州大会。宮崎日大高と鹿児島城西高の試合に、武田は宮崎日大高の1年生エースとして登板していた。スコアブックのメモを読み返すと、「馬力のある楽しみな大型本格派だが、ステップ足が突っ張り、アーム式の腕の振り。体の使い方を覚えたら......」とある。

 当時の印象を本人にぶつけてみると、武田は苦笑いを浮かべながらこう答えた。

「あぁ、あの頃はスピードを追いかけていた時期ですね。150キロを目指して(当時の最高球速は143キロ)、思い切り投げたいと腕ばかりで投げていました。上半身は強かったので」

 スピードを求めて腕をダイナミックに使おうとしているうちに、テイクバックが大きくなっていった。明らかに肩やヒジに負担のかかるフォーム。それでも、中学時代から140キロを超えるスピードがあり、変化球のコントロールも良かった。

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