山本昌が語る「ラジコンとV12エンジンと肩甲骨」の奥深き世界 (5ページ目)
山﨑 山本さんは何でもそう。もういいじゃんっていうくらいこだわるんでね。
山本 でもジャイもバッティングに関してはこだわりますよ。この人も昔からヒッチがどうとか、散々コーチに言われて悩んできたんだから。最後には物凄く研究しながら自分のものを作り上げましたからね。
山﨑 でもね、それって気付く時期だと思うよ。山本さんは若い時に気付いたけど、オレが気付いたのは野村(克也)さんと知り合ってからだから、38歳くらいですよ。それがキャリアの差になっちゃった。2000本を打てなかったのはそこだと思うんだよね。
山本 まあでも、最後にはこうやって、いろんなことが説明できるんだからいいじゃない。
山﨑 オレの場合は幸いにも最後の数年は、理解してやれた分よかったけど、それに気付くか気付かないかで、成績は変わってくる。だから気付くのは早ければ早いほどいいですよ。オレの若い頃はさ、本能だけだったからね。「ああ、今日はアウトだ」「ホームラン楽しいな」「三振した」「ピッチャーが球速かったから、まぁしゃあないな」と、こんな感覚で野球やっていたから反省もしない。山本さんとは正反対ですよね。反省の塊だから、これだけスピードがなくて200勝したわけですからね。
山本 そこは僕も誇りたいですね。
山﨑 僕には力があったけど、山本さんは豪速球がなかった。だけど、コントロールを究め、そして伝家の宝刀・スクリューがあったから、200勝を達成するところまでいけた。ふたりとも同じように身体が大きくても、積んでいるエンジンが違うんですよ。僕はV12を積んでいたけど、山本さんはそこまでドデカいエンジンではなかった。だから他で勝負をした。
山本 まったく、その通りだよ。
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