【根本陸夫伝】試合中にもかかわらず下柳剛を延々と説教した男
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根本陸夫伝~証言で綴る「球界の革命児」の真実
連載第50回
証言者・下柳剛(2)
プロ2年間で一軍登板は1試合。ドラフト4位入団、社会人出身で25歳になる左投手。球団の期待度、成績、年齢を考えると、決して先は明るくない。この3年目が勝負の年か......。
そんな状況にあった下柳剛の投手人生を好転させたのは、1993年、ダイエー(現・ソフトバンク)の監督に就任した根本陸夫だった。投手コーチだった権藤博の推薦を受け、「毎日、バッティングピッチャーをすること」を条件に抜擢。頑丈な体を持つ下柳には適した方針が功を奏し、徐々にリリーフで結果を出していく。むろん失敗もあり、6月初めには特にひどい試合があった。根本を「オヤジ」と呼ぶ下柳が回想する。
打ち込まれた下柳剛(左から3人目)を励ましにマウンドに向かう根本陸夫監督(写真右)
監督・根本の怒りを買った下柳のひと言
「忘れもしない、藤井寺球場での近鉄戦。先発の渡辺正和が8回まで2点に抑えて、9回表を終わってダイエーが8対2とリードしていたんです。もう楽勝やな、と思ってブルペンで待機していました。それが9回裏、近鉄打線が打ち始めて、あわてて池田親興さんに交替したけど2連打、まだノーアウト。そこでオレに出番が回ってきて、なんとか2アウトまで取れたけど、最後は2点タイムリーを打たれてサヨナラ負け。ガクーンとなって、これはオヤジに怒られるやろなあと、帰りのバスでビクビクしてました」
主砲のブライアントを筆頭に、勢いづいたら手がつけられない。"いてまえ打線"ならではの攻撃にダイエー投手陣は圧倒された。下柳はあと一人の場面で迎えたブライアントを敬遠するも、代打の山下和彦に弾き返された打球がセンター前に抜けた。バスが大阪の宿舎に着いて降りる時、根本から招集がかかった。食事会場に選手全員が集められた。
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